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『箱男と、ベルリンへ行く。』(五)

・『小説「箱男」、ないし、安部公房について』
 
ベルリン行のあれこれを時系列に沿って書いているわけですが、そもそもタイトルが「箱男と、ベルリンへ行く。」わけなので、箱男についても、触れておくべきかと思います。
というか、あらかじめ、触れておくべきだったけれど、置き去りのまま数回経ってしまったという物言いの方が正確かもしれません。
 
すでにあちこちで既出の通り、映画『箱男』は、石井岳龍監督が長年温められてきた企画です。「箱男」が映画になるというその噂が、まだ大学生として愛知でくすぶっている頃の私の耳にも届いていたことからしても、監督ご本人もさることながら、多くの観客たちが待ち望んでいたこといかほどかということが分かります。
永瀬正敏さん主演で、かつドイツの地で準備されていた映画「箱男」ver1.0は、諸般の理由でクランクイン目前に頓挫します。
その後も、石井監督は実現を諦めず、10年ほど前、弊社コギトワークスにお話しを持ちかけて下さり、めぐりめぐって、私がシナリオの一端を担うこととなりました。
そのことを考え始めると、「運命」とか、「因果」とかいった単語が出てきそうになり、やたらとロマンチックになりそうで、考えないようにしています。
私が考えるべきは、小説「箱男」を、いかに強度を保ったままシナリオに移し替えるかにつきるのですから。
果たして、シナリオは完成し、またそこから紆余曲折を経て、このほどようやく映画が完成しました。
観客に披露するのはベルリン国際映画祭という場が初めてということになります。さて、どのような反応だったのでしょうか、それはおいおいのこととしましょう。
 
シナリオ執筆の道程をここに詳らかにすることは、それほど本意ではないので、割愛、というか、またどこかでご報告するとして、そもそも、私にとっての「箱男」、さらには安部公房という作家がいかなるものだったかということについて、しばし、進めます。
 

24歳の安部公房さん。後ろに写っているのは23歳の勅使河原宏さん。
「世紀群」という同人誌を作っていたころ。当時は超貧乏だったそうです。


私が初めて読んだ安部公房作品は、高校一年生の現代国語の教科書に載っていた『ヘビについて』(「砂漠の思想」より)というエッセイです。つまり、私の世代は、大方高校一年生で必ず安部公房を読んでいるということになるかと思います。もし読んでいない、というなら、それは高校教師の怠惰だと言ってよいでしょう。
再読していないので、記憶は不鮮明ですが、とにかく「なぜ人間は、本能的に、ヘビに嫌悪感を抱くのか?」という内容でした。
思ったよりも素朴だったのでしょう、クラスの悪童も含め、安部公房の文章に対する是非をめぐっての意見の交換で、少しだけ教室が白熱した気がします。
「いや、別におれはこんな理由でヘビが嫌いなのではない」、「そもそも、おれはヘビに嫌悪感をもつどころか、好ましく思う」などなど。
その時点ですでに安部公房の「ヘビについて」は、充分に、わたし達に対する役割を果たしていました。
私は、すでに『安部公房』の名を知っていましたが、ぼんやりと大作家なのだろうというイメージを持っているのみでした。それが「ヘビについて」をきっかけに、「なんか面白そうなおっさんだなぁ」と、さっそく下校途中の三洋堂で新潮社文庫の「壁」を買うことになります。
それまで、松本清張とか司馬遼太郎とか、純文学よりでは、北杜夫とか遠藤周作とか、読んでいたわけですが、安部公房の「壁」という小説はそのどれとも違う読み味、書き味で、始めは戸惑った覚えがあります。ですが、読み進めていくと、すぐに安部作品の味わい方のようなものが自然と身につき、ヤミツキになりました。
正直言って、ハマりました。
『他人の顔』、『燃え尽きた地図』、『砂の女』、『箱男』、『密会』、『方舟さくら丸』と、前期後期三部作を立て続けに、むさぼるように読んだと記憶しています。
 

『世紀画集』という同人誌に載せた安部公房さんの絵。
タイトルは「エディプス」だそうです。
安部さんご自身の絵は、ちょっと珍しいですよね。


安部公房の研究者ではないので、確かなことは言えませんが、当時、同氏の作品に浸って痛烈に感じたことは、(あくまで当時の読書体験では)「似たものがない」ということでした。
「似たものがない」と感じたことは、「比類ない」などというクリシェではなく、うまく言い表せませんが、切実なような気がしています。
五〇年代、六〇年代の日本人作家は、なんというか、多かれ少なかれ、一つのまとまりとして存在している気がします。『文壇』と言えばいいのでしょうか、「あいつはアレを書いた、じゃあ、おれはコレを書こう」というような、無意識にせよ、そういう相互関係の中で執筆していたように見て取れる気が私はします。しかし、安部公房は、そういう文脈に沿って言って、「他に似たものがない」、つまり、あまり同時代作家の力関係の中に成立していないと、直感的にですが、感じていました。
事実、安部公房は、当時の文壇とは、唯一、大江健三郎氏などは別として、ほぼ一線を画していたと聞き及びます。
安部氏は、文壇という『村』ではなく、むしろ政治や、美術、また演劇などの領域を境界なく往来していました。
おそらく、ご自分の表現が小説だけでは、おおよそおさまらない拡張性を持っていたのでしょう。
これはさまざまな読書体験をしたもっと後に分かることですが、安部公房はむしろ同時代の日本を飛び越え、海外の文学の状況ととても呼応していたのではないでしょうか。
たとえば、ボルヘスやマルケス。たとえばカミュやカフカ……。
中でも『箱男』は、当時、ロブ=グリエに代表されるヌーヴォ・ロマンの肌触りを感じさせ、カルヴィーノのようなメタフィクショナルさを感じさせます。
知る限り、それまでの日本でそのようなことに着手している作家はいないし、その後も、筒井康隆の『虚人たち』、『虚航船団』などという作品を待たなければなりません。(ただし、安部公房とほぼ同時期に、かなり年上ですが、藤枝静男という厄介な私小説家がおり、また小島信夫という作家もおり、彼らの存在をどう考えるかはまた別の話でしょう)
 

『壁』初版本に載せられた挿絵。
桂川寛さんによるものです。
桂川さんは一時期、安部公房さん、真知さんと一緒に住んでいたことも。


『箱男』が持っている、たくさんの重要な要素の一つに、自己の完全なる存在証明として一見考えられるだろう「書く」行為が、必ずしも自明ではなく、「書く」行為すら、あるいは容易に他者と入れ替わることは、なんらおかしくないのではないか、そのような時代にどんどんと突入しているのではないか、という視点があります。
これは、この小説が書かれた当時にも鋭い指摘だったに違いありませんが、むしろ現代において、もしかしたらもっと未来において、その都度、少しずつ形を変えて、重要になっている、なっていくのではないかという、実感があります。
それは、当時読んで得た問題意識と、今回、映画化のために精読した時に感じた問題意識が、驚くほど同心円状に拡張していたという実感からも証明されている気がします。『箱男』が、投げかける問いかけの射程は怖ろしく長いものです。
 
いつもより、ずいぶんと長くなってしまっています。なにせ安部公房について書いているのだから仕方がありません。
 
もう一つ、言わねばならないことは、安部公房は同時に一級のシナリオライターでもあったということです。
勅使河原=安部の映画三作品は、ある種のベンチマークとして、現在でも日本映画史の中に屹立しています。
実は、現在、日本映画界でオーソライズされているシナリオ執筆のマナーから言って、安部公房なり、寺山修司なりといった『脚本家』は黙殺されているきらいがあると私は常々感じています。しかし、もしそれが本当ならば、オーソライズされているマナーの方を疑うべきだと、私は強く思っています。
そして、そのシナリオライターの大先輩である安部公房さんの作品を扱うということに、私はとてもプレッシャーを感じながら、事実この『箱男』のシナリオを書きました。
安部公房だったらシナリオ『箱男』をどう書くか? 自分の筆力にそんなことは毛頭のぞむべくもないことです。であるならば、自分の意識をとことんこの小説『箱男』において、映像化するならばどうすべきか、それを突き詰めるしかありません。
それは、監督、プロデューサー、俳優の方々、そしてスタッフ、みなさんの力を借りて、ある程度は果たすことができたのではないか……、不遜極まりないかもしれないですが、できあがった映画『箱男』を見て、私は今そんな確信をしている所です。
 
放っておけば、延々と安部公房について書いていられるし、逆に言えば、いつ終わっても何ら問題はないというわけで、今回はこのあたりで終わりにしましょう。(また書くかもしれないけど)
飛行機は、そろそろというべきか、ようやくというべきか、次回はかならずやベルリンに着くことでしょう。
 
ちなみに、私の好きな安部公房作品は、『箱男』は別格におくとして、『密会』、次に『方舟さくら丸』です。

『壁』の一章「バベルの塔の狸」に触発され、
桂川寛さんが寄せた挿絵「とらぬ狸」
桂川寛さんによれば、『壁』はヘッセの影響があるのではないか、とか。
それにしても「とらぬ狸」、かわいいですね。

(いながききよたか)


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