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絵を観る

好きな画家さんは、ゴチャ混ぜに言うと、ルノワール、モネ、東山魁夷、上村松園、笹倉鉄平さん、です。(何でかな、鉄平さんは『さん付け』しちゃうなぁ。)

初めて『絵』というものに遭遇したのは、幼稚園児の頃だったと思います。
それは加山又造さんの絵皿でした。
元々家にあったのではなくて、親戚の家で使っていたものをねだってもらってきたものでした。
兄がクワガタの絵皿を初めにもらって、私も「これがほしい」と冬山の描かれたお皿をもらってきました。

小学5年生のとき、担任の先生が『世界文学全集』みたいなのをどっさりと教室に置いてくれて(私の読書はそこから本格的に深くなっていきました)、その一冊一冊の、初めの1ページ目に、世界の名画が載せられていました。
読書と同時に、美しい絵に触れて、世界が大きく広がっていくのを感じました。

学生時代は、たぶんみんな通るであろう道、ミュシャ、クリムトに惹かれました。
それからレオナルド・ダ・ヴィンチの神秘に引き込まれました。
レオナルド・ダ・ヴィンチって不思議なおいちゃんで、いろいろな分野に造詣が深いのです。
アインシュタインと同じくらいの天才だと私は思っています。

大人になってからは、名画のポスターやカレンダーを購入して、その美しさを堪能していました。
20代半ば頃に、笹倉鉄平さんの絵と出逢い、夢中になりました。
鉄平さんの絵のジグソーパズルを見つけたときは即購入して、ピースを組んでいきました。
額に入れて、部屋に飾って、鉄平さんの美しい色使いの世界に浸りました。
ミュシャのパズルも組みましたね。


絵って、ほんとうに個人の好みの世界だと思います。世界的な名画であっても、響くか響かないかは受け手に委ねられている。
正直、『値段をつける』ということが一番難しい分野じゃないかな、と思います。
『価値』って、ひとによって感じ方が違うと思うから。


構図とか、作者の意図した目線の誘導とか、絵の見方、分析はいろいろあると思うんだけど、私はあんまり細かいことは気にしないで観ています。
美術の先生でもないし、鑑定士じゃないからね。


美術館に絵を観に行くと、絵から少し距離をおいて、全体を観ます。
優れた絵には必ずパワーが宿っていて、それを全身で受けるのが最上の嬉びです。


以前、絵の鑑賞中に、語り出した男性がいました。
「この時代にはカメラとか存在しなかったから、絵が唯一の人物証明だったと思うんだよね」。
連れの女性に言っているようで、実はその場にいた全員に自論を展開していて、聞いていた人のなかには、もっと観ていたかっただろうに、その場を離れる方もいました。
私も、「うわ、出た、語り屋」と思いました。
私はその男性よりも長く居続けることにして、回避しました。
こういう人はほんとうに困ります。
そんなに語りたかったら、画集でも買って、後でカフェとか家で、好きなだけ語ればいい。
でも、絵の前ではやめてね。
みんな、静かに観たいの。
世界を楽みたいの。
画家さんのメッセージに触れたいの。


近年、名画のカレンダーは買わなくなってきました。
何故かというと、月が過ぎても、その一枚を捨てられないからです。
日付けの部分を切り離して、絵の部分だけ取っといてあったのですが、好きだし素敵だし、捨てたくない。でもクルクル丸めたり折り畳んだりしたくない。
結果、置き場に困るのです。
額縁はもう3枚あって、一人部屋にはそれ以上増やせない。
というわけで、『カレンダーは買わない』に至りました。
美術館に赴いて堪能するか、画集を眺めて満足する、それが今の私の絵の楽しみかたになりました。

春になったら、また素敵な絵を観に行こう。
彼と一緒に行こう。
彼は、実は絵が描ける人なのです。


では、今日はこの辺で。
読んでくださって、ありがとうございました。
また明日。
おやすみなさい。

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