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進むために、少しづつ過去の事を話していく。【不登校編 その1】

こんにちは。コハルです。
書きたいけど書けなかったテーマ【不登校】についてです。
自分自身を認めていくために、そして整理を進めるために書いていこうと思います。

※注意※
ネガティブな感情や内容を含んでいます。読む方によっては、嫌な記憶が蘇る引き金になる可能性があります。

詳しくはこちらから↓


自己紹介でも触れましたが、私は高校時代に半年間の別室登校期間があります。
厳密な不登校ではありませんが、できる事なら登校せずに逃げたかった時期です。

始まりはクラスメイトの一言

話せる範囲で言葉にしていこうと思います。
高校入学直後の出来事。
私の容姿に対して悪口が聞こえました。
後ろの席から、私に聞こえるように言われた言葉。
耳にした時は、恥ずかしさや怒りなど色んな感情渦巻いていた覚えがあります。

元々人見知りで人とコミュニケーションを図ることが苦手だった私。
目立たないように高校生活を送りたかった私としては、何かしらのターゲットにされることは恐怖でしかありませんでした。

その日は落ち着かずに、すぐに友人へ相談しました。
友人からは「時間が経てば無くなるって」と。
親に相談することもできず、友人の言葉を受けて我慢することにしました。

容姿に関する悪口はその後も続きます。
『私が我慢すれば大丈夫』『何もないように振る舞わなければ』
自分にいい聞かせながら学校生活を送っていました。

我慢しながら、気持ちを打ち消しながら生活していましたが、やっぱり気になります。
次第に他者の話し声が気になり始め、『私のことを言ってるのかな?』と周囲を気にして、音や視線に敏感になっていきました。

我慢の限界は数年後にやってきた

高校3年生のある日。廊下を歩いていた時、ふと【行きたくない。逃げ出したい。】との強い思いが湧いてきました。一緒にいた友人へ伝えると「相談室」を勧められ、逃げるように行ってみました。

相談室では担当の先生へ今の不安感や逃げ出したい思いを伝え、話を聞いてもらいました。また何かあれば来てもいいと了承を得て、一旦普段の生活に戻ります。
しかし、その日から授業を受けられずに相談室へ行く頻度が増えていきます。
今思えばあの頃は我慢の限界がやってきて、感じないようにしていた感情も限界を示していたと思います。

同時に、過敏さも増していきました。
元々あった人の話し声や視線が気になる事も増していき、教室のような集団内で過ごすことが困難に。『自分の存在が他者に悪影響を与えているのかも?』との思いも強まり、誰かの視界に入る・認識される事へ恐怖を覚え始めました。

この段階では親への相談もできていません。
当時は『心配をかけてはいけない』と思っていましたが、
今考えると親への【見捨てられ不安】から、心配をかける事自体に不安を覚え、親の期待に応えられないと自宅での居場所を失うと無意識に感じていたと思います。

その後、親を含めた面談や心療内科受診もありましたが、長くなりそうなので続きは後日投稿します。
書きながら感じたのは、『もう少し早く手を打てていれば良かったのかな?』という点です。
①入学当時の時点で相談に繋がる
②そもそも校内に相談先があることを知らなかった( ;  ; )
③親との関係性が良好であれば早期介入も可能だった?
④我慢することで感情が鈍くなり(解離?)SOSが出しづらい状況になった。などなど。

次回は高校生活の続き(その2)を記して、今の立場から考察できれば面白いかなと思います。
最後まで読んで頂きありがとうございました。

追記
【不登校編 その2】を投稿しました。
もしよければ、こちらからどうぞ。

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