舞台芸術コンペティションの審査について

最初に
今回受賞された団体の上演は素晴らしかったし、充分にそれに値するものだったと思っています。
これはそれに異論を唱えようとするものではありません。

もう一つ
舞台作品を並べて上下を付けるという行為を手放しで受容できていないところは個人的にあるのですが、それによって生じる舞台業界の盛り上がりや参加団体や受賞団体が得られる注目や副賞など様々なメリットも理解できるので決してコンペティションに対して頭ごなしに否定的な態度でいるわけではありません。
しかし、だからこそ、もしそれをやるのであれば、慎重で真摯な準備と運営の必要があると考えています。

それを踏まえて
3月27日に行われた「かながわ短編演劇アワード2022 演劇コンペティション」の審査について、少し振り返りながらコメントを出したいと思います。

上演団体は
・かまどキッチン
・エリア51
・MWnoズ
・じゃぷナー観 Japnakan

※エンニュイは出場辞退
(これも「辞退」と記載して良いのか議論があると思いますが、今回は一旦公式発表の記載を記しておきます。)

最終審査委員は、岩渕貞哉さん、岡田利規さん、笠松泰洋さん、スズキ拓朗さん、徳永京子さん、の5名でした。

まず最初に引っかかったのは
審査は各審査委員から各作品への講評がそれぞれに行われたあとで、与えられた持ち点5点を支持する作品に分配する形で第1回の投票が行われました。

結果は
・かまどキッチン:6点
・エリア51:9点
・MWnoズ:7点
・じゃぷナー観 Japnakan:2点

単なる得点法なら、エリア51が1位で受賞になるのですが、討議型の方式をとっているためそういうことにはならずにここから更に議論が続きました。
これは予定通りであったでしょうし、舞台芸術のコンペではよく行われる方法なので、特におかしいとは思いません。
しかし、ここで5点分配法という手法を採ったことについて数学的な論拠を運営側が持っているのであればそれは是非伺ってみたいと思っています。
通常は「◎、〇、△」などの評価が行われることが多いと思います。
あとで議論をするにも関わらず点数方式にしてしまうと、このように数字序列が発生してどんなに強い意志を持ってこの後の議論に臨んだとしても潜在心理への影響はどうしても否定できなくなるからです。

この方法をとったのは最近流行りのお笑いの賞レースっぽく見せたかったのかもしれませんが、あれは2本目に別のネタをするからこその採点方式で、そもそもその辺を混同されているのではないかと感じました。
賞を設定する段階で審査基準はもっとしっかり吟味しておくべきであると思います。

続いて2回目の投票は各審査委員が2つの作品に「〇」をつけて選ぶ形で行われました。

この際に
1回目の投票で2点にとどまったじゃぷナー観 Japnakanは特にコメントもなく対象から外されました。
これには何点差がつけば落選とするとか全体からどれだけの偏差がつけば落選するいう基準があったのでしょうか。
見ている限りなんとなくだったように見えました。
そのようなものであれば数字化することにはやはり意味がありませんし、混乱を招くだけです。
残念ながら議論をしても結果的にはそうなった可能性が高いとは思いますが、討議型の審査を行う場合は、ここで唯一じゃぷナー観 Japnakanに投票した笠松さんに意見を求めて、再度他の審査委員に対してをじゃぷナー観 Japnakan推すところはないのかの確認をするのが正当な手順であっただろうと思います。
このあと笠松さんは1回目の投票で2点を付けたじゃぷナー観 Japnakanを外して、1点を付けていたエリア51に票を投じることになったのですが、ここにも明確な論拠がなく操作的な審査だったと指摘しないといけないと思います。
これはでもう審査ではなく、作品を対象にしたゲームです。

そのような審査手順の甘さは、審査全体に感じられました。
その理由の一つは、審査が作品を個別に評価することに終始して、作品間比較の議論になっていないことが審査結果を分かりにくくしてしまったように思います。
高校演劇の審査であればこのような形になることも多いですが、今回はみなプロの団体で自ら進んでエントリーしているわけですから、もっとはっきりと白黒つけていく議論をした方が良かったように思います。

そうでないと何よりも審査された団体にもわかりにくいですし、審査委員の間でも結果に不満はないんだけれど、なんだか腑に落ちないという空気が漂っているように感じました。

そもそも公開審査で時間にも限りがあることに課題があるのですが、それも最初から分かっていることなので、しっかりタイムマネジメントをして早い段階で作品間比較の議論をしていく必要があったように思います。
それができていないので討議型であったはずの審査が、結果的に算数的(決して数学的でもなく)審査に陥ってしまったのではないでしょうか。

そして第2回投票の結果は、
・かまどキッチン:〇3
・エリア51:〇4
・MWnoズ:〇3
と再び割れた結果となりました。

これについては結果論ではなく、1回目の投票をみれば徳永さん、スズキさんの推す2作品ははっきりしていて、岡田さん、岩渕さんの1推しもはっきりしているわけですから、理由のはっきりしないままじゃぷナー観 Japnakanを落としただけの特に必要のない投票で、それをするくらいならばやはり笠松さんから意見をもらう時間をとるべきであったと思います。

そして3回目の投票では各審査委員が1作品を選ぶ最終投票が行われました。
これも最初からこの手順で審査することを宣言していたのであればよいのですが、少なくともなんとかして1番を決めるためのその場の判断のように見えたのはよろしくなかったと思います。
この方法では1回目の投票結果を見れば、5人中2人の審査委員が既に3点を付けて明確に推しているMWnoズに有利な選考方法となるからです。
そしてこの結果は2回目の投票が混乱を招くだけの無駄なものであったものを誰の目にも明白にします。

もっと問題なのは
この段階でボードを見ると、次の投票では、
・かまどキッチン:2票(徳永さん、笠松さん)
・エリア51:1票(岡田さん)
・MWnoズ:2票(スズキさん、岩渕さん)
または
・かまどキッチン:1票(笠松さん)
・エリア51:2票(徳永さん、岡田さん)
・MWnoズ:2票(スズキさん、岩渕さん)
となって、再び票が割れることが目に見えていて、その投票を議論なしに進めるのがやはりよろしくありません。

結果は、前者となって、エリア51を推す岡田さんが、別の団体のどちらかに票を投じることを求められます。

よく最終的に票が同数になった場合に審査委員長に決定が委ねられるようなこともありますが、そのようなルールは決められていませんでしたし、そもそも岡田さんはそのような立場で審査委員になってもいないので、そこで岡田さんに判断を強いるのも無謀で無理があると思います。

そしてここでは、かまどきっちんとエリア51を同点で推している徳永さんも大きな鍵を握っており、もしここでの徳永さんの判断が反対側に動いたら結果は逆転する重要なポイントです。
もう一度冷静にボードをよく見ると、それは実は岡田さんが1推しの団体から別の団体に投票するよりもこの審査で頼ってきた数字的には可能性の大きいことであるのに気づけると思います。
一回目の投票を点数で行ったことに意味があるとすればこういう所をチェックすることなのですが、結局それも見落としています。

やはり討議型の審査であれば、ここに一番時間を費やさなければなりません。
たとえそれで審査結果が覆ることがなくても、踏むべき手順が違うと審査が公正に見えなくなるからです。

最終的には、
・かまどキッチン:2票(徳永さん、笠松さん)
・MWnoズ:3票(スズキさん、岡田さん、岩渕さん)
で、MWnoズのグランプリが決まりました。

これは悪意はないことだと思うのですが、最終投票を審査委員の名前の行に書かずに団体名のところに「正」の字で書いていったのも最後の最後に誰の投票かわからなくなってしまったのもよろしくないと思います。
最終結果を見て、審査のロジックが見えないのです。
このことからも審査方法が十分に段取りできていなかったことがうかがえます。

なんらかの評価基準はあったようで、それは時折各審査委員の口からも聞かれましたが、それぞれポイントが微妙に異なっていて不明瞭に感じました。
戯曲コンペティションには募集テーマが明示されていますが、演劇コンペティションではそのようなものも見受けられません。
アワードが何を求めたのかよくわからないことにも問題があると思います。

余談ですが、やはりとても大切なことなので記しておきますと、審査の最後まで受賞団体の団体名を審査委員が正しく発音できないままだったのも残念だったと思います。
そもそも難しい表記と発音の団体名なのですぐに読めないのは仕方ないのですが、仕事で依頼されて呼ばれてきているのですから最初にきちんと確認しておくのが筋ではないでしょうか。
これは事前にはわかっていたことだと思いますので、運営側もしっかりオリエンテーションするべきだったと思います。
団体の名前が覚えられずにずっと笑いながら審査している審査委員の方々をとても悲しい気持ちで見ていました。
名前を言えない団体に100万円の賞金を授けたことをなんとも思わないんでしょうか。
そんな仕事がどこか他に在るでしょうか。

現在の社会状況の中で、舞台芸術は大変厳しい環境に置かれています。
ここに集まった方々は、おそらくみんなそんな状況をなんとかしたいと思ってる方々だと推察しています。
他方舞台芸術に関心のない方からは、いま舞台を続けることに批判的な声を聞くこともあります。
少なくともそのような方々が少しずつでも納得のいく形で舞台芸術に充てられる公のお金は使われていく必要があると思います。
果たしてこの審査の場はそのようなものだったでしょうか。

最近演劇の界隈で「杜撰」の文字を見かけることがとても多いです。
ちょっと気になっているので急いで書きました。


やっぱりおかしい|小泉うめ|note


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?