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どうして悲劇を求めるのか

 最近、執筆やインフルエンザや中耳炎や転職活動でnoteをサボり気味でした。申し訳ない。これ以上に休むとせっかく習慣化したものを手放すことになりかねないので、今年の最後に更新をして、また来年からは毎週金曜日にちゃんと記事を書きます。
 今回の話は、「なぜ僕は悲劇に惹かれてしまうのか」です。この記事は人の意見も聞きたいので、よければ読んだらコメントをいただけると幸いかなと思ってます。
 
 僕は小説も映画もなるべく偏らずにいろいろ鑑賞しようと努めているけれど、それでも記憶に焼きついているのは悲劇だ。僕のもっとも好きな映画は『息もできない』で、『息もできない』を観るまでは『パーフェクトワールド』と『ミリオンダラーベイビー』が人生最高峰の映画だった。他にも、『イントゥ・ザ・ワイルド』なんかも好きである。これらの映画はみんな重苦しい結末で、友達のMくんに『息もできない』を勧めたときは、「この映画を人生ベストワンと言ったらだめですよ」とも言われた。
 ところで、昔よく語らっていた友達のIさんは、根っから真面目で常識的な人で、彼と話していたら「悲劇ってどうして必要なんですかね」と言われたことがある。僕はそのとき、「マイナス足すマイナスはマイナスですが、マイナス掛けるマイナスはプラスになるんですよ」と答えた。これは僕の言葉ではなくて、みうらじゅんが言っていたことをそのまま引用しただけだった。理屈として通りやすいために咄嗟にそう答えたけれど、実は僕自身がこの言葉にはそんなに納得していない。本当にそんな理由なのだろうか。
 前述のMくんには、「フィクションは人生の予防接種だ」と言ったこともある。僕としては、こっちの理屈の方が納得できるけれど、これもやはり僕の悲劇好きの理由を説明しきれたとは思っていない。
 もちろん、人の趣向というのは理屈で説明できるものではないし、特に説明をしなくてもいい。ただ、それでも自分を納得させる試みは怠ってはいけないと思う。
 もしかしたら、悲劇によって感情が揺れ動くことを求めているのだろうか。それとも、自分の中の加虐生と被虐性に訴えかけているのか、それもよくわからない。
 今回の記事はちょっと自分なりの論理を深めきれずに終わってしまうが、誰か悲劇を求める精神について教えてほしいなと思う。
 

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