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無縁でよかった世界のこと

仕事で関わった方の価値観が私とまったく違っていて、うんと疲れてしまった。
価値観が違う、ということ自体はもちろんそれはそれで構わないのだが、私自身が大事だと思っていないこと…どちらかというと忌避したいと感じていることをそのひとはなによりも大事にしていて、2日間隣でその話ばかりを延々とされたので毒気に当てられたようにぐったりしてしまった。

彼が大事にしているのは、お金と異性にモテること、それから社会的名声だった。
彼はもう70代後半だったが、二十歳そこそこの彼女が5人ほどいる。
時給1万円でデートをし、泊まりが含まれるときには一日あたり手当を5万円渡すそうだ。
奥さんにも年間1,000万円ほどのお小遣いを渡していてしかも「愛されている」ので愛人のことは許されているという。
24時間対応の、なんでも解決してくれる秘書がいるので、少しでも困ったことがあれば国際電話をかけて解決させていた。

私にとってこの人は、仕事上の付き合いがあったとはいえ、基本的には他人である。
お金に汚かろうが、愛人がいようが、自慢話ばかりされようがそれは個人的な資質であって、仕事と私の尊厳に関わらなければいっこうに問題がない。
けれどこういう人といてやはり困るのは、お金が何でも解決してくれると思い込んでいるところだ。
もしかしたら日本ではそうなのかもしれない。ある程度のことはなんとかなる。24時間対応秘書に解決してもらったらよろしい。
でもここはフランスだ。
いくらお金を積んでも、遅れるものは遅れるし、取り返しのつかないことはほんとうに取り返しがつかない。
そして秘書がなんとかできないことは私に回ってくる。
回ってきてもわたしにだってなんとかならないのだ。
なんとかならないって知っているから事前に確認したり、申込みをしたりしておきましょうを口を酸っぱくして言ったのに、まったく取り合ってくれなかったそちらが悪いのだ。
そちらが悪くても、やはりフランス語が話せる以上私が動かねばならない。
そんな風にさんざん振り回してくれるので非常に疲れた。


奥様の写真や、彼女たちの写真を見せてもらったが非常に美しいひとたちだった。
とても美しく、そして品がある(ように見える)。
お茶の先生だったり踊りの先生だったりする。
そんな風にうつくしく品のあるひとたちが、1時間1万円で買われて薄っぺらな自慢話に感心したふりをしているのかあと思うと、頭がくらくらした。

お金があれば何でもできるそのひとは、お金がなくなったら誰も駆けつけてくれないことを知らないわけでもなかろう。
私はつい「◯◯さんはお金を世の中で一番大事にしていて信用しているとおっしゃっているけれど、私はお金では手に入らないもののことを大事にしていて信頼している」と言ってしまったが、お金の虚しさのことなど承知の上だろう。

お金や地位があってたくさんの女の人にちやほやされても、ひとっつもうらやましくなかった。
わたしほどの年端もゆかぬ人間に「こんな人間や人生だけはごめんだ」と思われてしまうなんて、なんなんだろ。

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