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罪悪感は無くならない、それでいいや

 現在、両親は介護施設で生活を送っている。
施設の方で丁寧に介護してもらって本当に助かっている。ありがたや、ありがたや。それでも、たまに家族がどうしても立ち会わないといけない時もある。内科以外の通院だ。通常、施設と連携している病院(内科)で診てもらえるから、家族の立ち会いはいらない。しかし、イレギュラーな症状(内科以外の疾患)がでると、家族付き添いのもと、大きい病院で検査が必要になったりする。

 先日、父の腕に皮膚炎が出てなかなか治らないので、大きな病院で検査することになり、同行。二週間ぶりの父は、いつも通りの眠そうな顔(笑)
かわいいおじいちゃんになったなぁ。施設の看護師の方と父と私で、現地待ち合わせ。
それにしても、予約しているのにも関わらず、病院ってなんで待つのがデフォルトなんだろう?
施設の方に聞くと、「2、3時間はざらにかかりますよ」だそう。いやいや、私はいいとしても、施設の方が大変すぎない??それに、高齢者は待つだけでも疲れるし。(横で寝てたけどね・・・)
時間の感覚もあまりないせいか、父は穏やかに半分眠そうに待ってた。

予約時間を30分以上遅れての診察。
父、若くてかわいい女医が診てくれて、よかったねぇ。その後会計を済ませ
「いつもありがとうございます!父をよろしくお願いします!」と別れて、帰路につく。父との別れ際は、いつも罪悪感がちらつく。
「あんなに落ち着いてるんなら、うちで面倒見られるのかな、やっぱり家に帰りたいよね、私がみれないからって施設に住み続けてること、どう思っているんだろう、辛くないのかな、いやになってないのかな・・・」等々ズーンと落ちそうになる。自分が家で両親を介護していた時は、「まじさっさと施設に行ってもらわないと!」と毎日念じてた。罪悪感が湧くなんて、考えてなかった。
ふと思い出した。この罪悪感、保育園に息子を預ける時と同じ感覚だ。朝から保育園に息子を送って別れ際に、「行かんじょー!」って毎回泣かれていた。あの時も、「ごめんね、ごめんね」って謝りながら、急いで車に戻ってた。
息子は私の姿が見えなくなると、後はケロっとして遊んでいたらしい。迎えに行くと、まだ帰らない!と遊び倒してたからなぁ。

「自分がなんとかしてあげないといけないのに・・・ごめんなさい」って思うことが、罪悪感を生んでいる。
相手をどうにかしてあげようとか、驕りでしかないなと今はわかる。父のことだって、小さい息子のことだって、私が世話をするより、プロに任せた方がどれだけいいか。実際、息子はその保育園で本当に成長したし。父も介護のプロに生活のサポートをしてもらっている方がとても穏やかだ。わかっちゃいるけど、やめられない罪悪感。(笑)

これからも何かと湧いてくると思うけど、その度に、「ま、自分の後ろめたさだけだから」と自分の肩を叩いてあげるよう。
自分を責める代わりに「施設の方にサポートしてもらって、そして親からもらった時間を大切に使わなきゃね」って、毎回自分に言ってあげよう。
散々無理して、これ以上できないって見極めたんだから、過去の決断も生かしてあげないとな。

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