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その3「介護を引き受けるのと決めた」

そうはいっても、介護バンバン引き受けましょう!って話では決してないですよ。
介護を引き受ける時は、「本当に引き受けて大丈夫?」ってご自身に何度も何度も何度も(しつこく重ねますけど)尋ねてみてください。
私の場合、幸いなことに親の年金で施設費を賄えていたので、金銭的な負担はほとんどなかったです。ここは介護を選択する上での大きなファクターの一つです。まずは自分の生活を犠牲にしないこと、これを最優先で考えてください。逃げることも本当にアリです。
そこを踏まえてからの、私のお話です。

さて、介護突入の背景をお話しますね。
私は一人っ子で、いわゆる機能不全な感じの家庭(特には母はステルス毒親)に育ちました。
男尊女卑の地方でもあり、そんなに特殊な環境ではなかったと思います。いわゆるアラフィフ世代には、ごく一般的な家庭だったかと。暴力を振るわれたわけでもないし。ただ、今振り返ると言葉や心理的なDVというのはありました。

男尊女卑当たり前、長男の嫁で風当たりが強かった母。長男として育てられた父。その一人娘の私は、母の愚痴受け止め役が、私の家庭での役割でした。母子一体化の典型です。
プライドの高かった母、その自慢の娘であるため、成績は良くなきゃいけなかったし、母の思う通りに動かないと不機嫌な状態でした。
父の親戚とも表面上は穏やかだけど、家ではガンガン愚痴りまくりという・・・
かなり窮屈な家庭で、なんとか良い子を演じて就職、結婚にたどり着きました。

就職してからも実家暮らしで、30歳で結婚して、やっとここから抜け出られるぜ!って親と別居。(自分の家族から逃げ出そうとして結婚したんだ、私。今気がつきました。)
やっと機能不全から抜け出られるかと思ったら、ここで番狂わせが起こったのです。
出産後、実家に一時帰宅のはずが、夫長期出張(産後すぐ半年以上の出張へ)のためズルズルと実家住まいに。そのままに、実家で同居することになってしまいました。

私は、かなり遅く生まれていて親と約40歳年齢が離れています。(出産時、すでに両親は72歳)
出産後、会社に復帰しようかとも思っていましたが、乳飲み子をお願いするには、両親は歳を取り過ぎていてフルタイムは無理だなぁ・・・と諦め気味。
八方塞がりな感じの私で、乳飲み子を抱えつつ、毎日考え込んでました。

私は社会的価値があるんだろうか?って。

出産し、仕事を辞め、社会との繋がりがなくなってしまったと感じて、強烈に自分の拠り所を求めたんです。
「〇〇の妻、〇〇の母じゃなくて、ゆずゆりとして役に立ってありがとうって言われたいし、あなたが必要って言って欲しいのよ!!」

幸い以前SEだったので、ITのスキルを活かしてボランティアをすることに。
私にとっては、自分の価値を証明するにはこれしかない!と、もう必死でした。仕事で役に立つこと=自分のアイデンティティという考え一択しかなかったから、そこに縋る状態になっていました。

子どものサークルやPTA活動では、いつもなんとなく浮いてました。
母や嫁の役割をうまく演じている人を見るたび、こうならないといけないのかな?って思いつつ、ボランティアをやっている私が本当だもん、ここにいる私は、役割をやってるだけだしねって。
常にしんどい、疲れた、自由が欲しい、って頭の中でぐるぐる回っていました。
子どもが少しずつ手を離れていくのと反比例して、今度は親の調子が悪くなってきました。

そして、介護生活突入。
最初は嫌だ嫌だと思いつつ、やらなきゃいけないからやるというスタンスでした。でも、介護逃げる?どうする?って思った時、なんだか分からないけれど、逃げちゃダメだなってふと思ったのです。
今思うと、ちゃんと自分で介護をするって選んでいたのです。

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