見出し画像

なるべく手を出さない

 10年近く前になる。夫の急な転勤で同居が難しくなった。なんとかうちの両親が二人で過ごしていけるように、ケアマネやかかりつけの病院の先生、訪問看護サービス等々、手配してバタバタと家を出た。

転勤して一年経とうかという頃、母が転倒し動けなくなり(後でわかったが、大腿骨頸部骨折。)父が泣きながら電話をかけてきて、翌日飛行機で実家へ。身動きできずに寝たまま悪態をつく母と、オロオロとしている父。

「ああ、やっぱり二人で暮らすのは、無理だったんだなぁ」とため息をついた私。とにかく、母を主治医に診てもらい、即入院。父、急に一人暮らしになる。入院の手配を済ませて、私は一旦関東へ戻った。その頃父は少々物忘れがあるだけで、足もしっかりしていたので、一人暮らしでもなんとか大丈夫だろうと楽観的に考えていた。80歳の父は、毎日母の病院へお見舞いに行ったようだ。バスに乗り、リュックを背負って母の顔を見に行く。
私は一ヶ月の半分を実家で過ごし、関東と田舎を行き来する生活になった。母が驚異的な回復を見せてもうすぐ退院という時、今度は父が脳梗塞で入院。入院バトンタッチ。

うむむ。これは、両親が実家に住み続けるの無理では?
で、両親とも転勤先の関東でまとめて面倒見ましょうということに。母から先に連れて行って、父も退院後、関東へ。退院直後に羽田へ降り立った父は、あまりの人の多さに魂が抜けたようになっていた。(夫がかなり心配した)
関東に来てから、母は自宅リハビリ、父は近所の病院で脳梗塞の経過観察をしてもらった。初めての都会で、二人ともストレス満載だったと思う。
それでも父は、脳梗塞後のリハビリ言語の訓練に、息子の絵本を読んでいた。かこさとしさんの「からすのパンやさん」がお気に入りで、息子と一緒に読んでは、二人でよく笑ってたなぁ。そのおかげが、言語障害はほとんど残らず、主治医にも感心されたほどだ。時折、散歩と称して、行方不明になりかけたりと、フリーダムな感じで少々困ったりしたけど。

孫と一緒に居られる都会の生活に慣れてきたかな?と思っていたが、三ヶ月ほどで「俺は田舎に帰る!』と宣言し、唐突に田舎へ帰ってしまった。(母は関東のリハビリの先生がひどく気に入っていて、「私帰りたくない」とぼやいてたけど)
父にとって、全ての面で世話になることに耐えられなかったのだと思う。転勤前は、父が建てた家に同居させてもらっていたから、そんなに負い目を感じなかったのだろう。しかし関東の生活は、全てが夫のテリトリーだ。
ストレスだったんだろうなぁ。俺には家もあり、金もちゃんとあるのに、どうして他人の家で肩身の狭い思いをしなくちゃいけないのか。
人一倍気を使う父だからこそ、自分の家でのびのびしたかったんだろうなぁ。父は主治医の意見も丸無視(笑)で、田舎に帰った両親。一年後に私が戻るまで、なんとか二人で乗り切ったことが、すごい。

自分の建てた家で暮らすって、特に父にとっては自分を支えてくれることなんだろうな。自分の力で暮らすって、思っている以上に自分の誇りになるかも。介護ってその人の状態を見て、手を添えるぐらいの感覚がいいのかもなぁ。関東で両親の介護をしてた時は、先に先に行動を読んで疲れ切ってしまっていた。お互いにとって良くなかったなぁ。

出来るだけ相手を信頼して、手を出さない。介護以外でも大事だなぁ。

読んで頂きありがとうございました。頂いたサポートは、文章力アップの勉強代に、全て使わせて頂きます!