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親孝行は人を追い詰める

 父の施設に行く途中、映画「ペコロスの母に会いに行く」をふと思い出しました。映画の中で、ペコロスさんがお母様を施設に預けることを友人に話すと、「俺は施設に預けて、親を捨てることはできない」的なことを言われる場面がありました。その映画を見た時点では、介護真っ最中だった私。「介護したこともない奴が何いっとんねん!!」とかなり腹が立ちましたが、今思うと、家父長制が生きている社会の自然な感覚なのでしょうね。

なんとか自分で頑張ったら、介護できるんじゃない?
あの人は最後まで親を見ていたってきたよ、
やろうと思えば、できるんじゃないの?
やらないって決めてるのって、親不孝なんじゃないの?

なんて、言葉が普通に交わされますからね、田舎って。
(日本特有なのかもなぁって思ってましたが、海外ドラマでも、「なぜ白人はお金を出して親を施設に放り込むのか?」というセリフがあったりして、「ブルータス、お前もか!」と言いたくなりました。)

そんな言葉を掛けられた時は、「ふーん、そう思うんだ」って態度で、なるべく話題を変える事にしてます。(下手に否定すると3倍返しにあったりするし、言葉の切り返しが上手じゃないので)

頑張るって、自分が犠牲になることじゃないの?
他人がどう見ようと、他人がどう介護してようと、それは私じゃないから、比較しても意味ないけど。
自分でゆっくり考えてみると、親不孝って一体どんな状態を指しているんだろう?って思うんです。
私は息子が何をしようと何をしまいと、親不孝だとは思わない。ただただ息子自身が幸せであってくれればそれでいいから。そもそも息子と私は別人格なんだし、他人に自分の幸福を左右されなくてもいいし、されないからなぁ。

とすると、親孝行って何?
辞書で引くと、
親孝行:親を大切にすること、真心を持って尽くすこと。
親不孝:親を大切にしないで心配や迷惑をかけること。(デジタル大辞泉より)
うーん、親だから大切にするっていう前提自体が、ズレてる気がします。
例えば心配性の親だったりすると、子供が自立のためにチャレンジしようとすることも心配するし、それって親不孝?
あまりに相対的で言葉の意味が曖昧なのね・・・
私が親の立場で観る親孝行は、子どもが自立して幸せでいてくれること、親不孝は、いつまでも親と離れられないこと。

漫画家の西原理恵子さんが卒親したように、親子の関係も親子という上下関係から、フラットな個人対個人に変化した方が健全だなぁと思います。
田舎の長子は、親と一緒に住むとか、面倒をみるとかそれが親孝行で、その親孝行を強要されがちです。嫁がいたら、嫁までひっくるめて、親孝行プレッシャー。古い価値観が未だに人を追い詰めているなぁって感じます。
三つの時代を生きる女(昭和生まれ)としては、もう家父長制って辞めどきだと思うんですけど。人を犠牲にして成り立つ家族って、不健全。

昭和の時代にはあまりに刷り込まれすぎて、嫁や子どもは親孝行というなの犠牲になるものだって当たり前に思っていました。
この価値観、ホントに捨てたい。
若い世代がもっと自分の人生をクリエイトしていける、いいシステムに変えていかないとな。もう、誰かが犠牲になる繋がりは捨てて、それぞれが自立する時代にしていかないとね。

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