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ソーシャルネットワークの淋しさ

私は、インターネットが広く使われる以前からパソコンを仕事で使ってきた。
それは、まだWindowsが無かった時代。
パソコンの電源を入れて、真っ黒の画面に白い文字が出て来る。
C:¥
コマンドプロンプトだ。
そこに立ち上げるhtmlを入力しなければ何も動かない。
今では誰もがインターネットに慣れ親しんで、当たり前のように日常生活で使われている。
それはパソコンでなく、スマートフォンやタブレットから何にでもアクセスして気軽に画像や動画、音声をアップロードして楽しんでいる。

YouTube
私が使いだした頃は、アカウントを登録しないと観る事も出来なかった。
2006年にアカウントを作った。
動画のアップロードには5分までなら誰でも可能だが、それを超えるものは、特定の権利を取得しなければ不可能だった。
今では、端末から何でもアップロード出来て、アプリ自体にも共有ボタンが付いている。
そうして誰もがYouTube Liveを配信できるようにまでなった。
けれども、YouTubeとは、そもそも動画配信サイトであり、ある一定の設定やクオリティー性が求められるようなインターネットサイトであり、特定の趣味やカテゴリ枠のものなどは、どちらかと言えばニコニコ動画の方が、一般向けの役割を担っていたような気がする。

時が流れて、今や誰もがユーチューバーのような存在。
沢山の動画をアップすれば、それなりの閲覧ユーザーが増え、ユーチューバーである人もそうでない人もファンが居る。

こんな記事を書こうと思ったきっかけは、実にくだらないが、ゲーム攻略のためにYouTubeを観た処からだ。
とあるゲームをやっていて、どうしても上手く出来ず、攻略サイトを見てもクリア出来ず、あ!そうか、YouTubeで検索してみれば動画で解説があるかも⁉と気がついた。
いわゆる”釣り”という、くだらない目的とかけ離れた動画に当たらないように、よーく吟味して目的の動画を見つけた!

正に大ヒット!
チャンネル登録者数10万人の人の動画を私は見つけて、何も知らずに、凄いなあ~この人…と思って観ていた。
その動画の作り方、撮影の仕方、アナウンスの話し方、高いクオリティーのものだった。当然の如く、私はユーチューバーだと思った。
サブスクライブ!と書いてあれば、プロだと思うのは当然だと思うのだが…。
2か月くらい、一人で動画を観てはゲームで実践をしていた。
ある日、その人がライブ配信をしているのを偶然見つけて観ていた。
コメント、と書いてあって、どうもライブチャットが出来る様子だったのだが、やり方が解からず、3回ほど、ただ観ているだけだった。
ようやく、コメントに投稿する方法が解かった時、その人は私の書き込みを沢山拾っては読み上げ、共感や返答をしてくれた。
私には、ただ観るだけのものだったYouTubeが、ソーシャルネットワークになったようで驚きでしかなかった。
その後、その人はライブを終えて、ツイキャスというTwitter連動のキャスと言われる、これまたライブ配信アプリでトークを始めた。
ツイキャスは、Twitterを始めた頃から知っていて、有名アーティストのキャスを聞くためにアプリを持っていた。
試しに、その人のキャスに入ってみると、何と、またまた私のアカウント名を声にして、チャットコメントを沢山読んで会話を拾ってくれたのだ。
流石に私は驚いた。
Twitterフォロワー数1万人、YouTube登録者数10万人も居る人気の人から、初めてで声を掛けられたら、ビックリだ。
その人がどれだけ、自分に注目をしてくれる人たちに丁寧な人なのかがよく分かる。
話も中盤頃、私が「流石チューバーさんですね~!」とコメントをしたら、『自分はユーチューバーじゃない!!』と言って、「え?違うの?」と聞けば、『そうやって思われてるけど、そう言われるのが一番嫌いなんだ』との返事。
そうなのかぁ・・・
まあ、色々あるよね。

しかしだ、動画の配信回数や閲覧数が一定回を超すとYouTube運営の方から、収益に関する権限というものが送られてくる訳で、一再生回数につき、何円と利益が得られるシステムがあるのを私は理解していた。
恐らく、この人の『嫌だ』という思いは、それだけで生活費を叩き出している人と垣根を持っているのだ、という事だろう。
私は、くだらない事を取り上げて動画をアップしているチューバーも観ていたから、その垣根は要らないと思っている派だ。
いまや、クラウドワーキングシステムの時代なのだからね。
私自身もすべて自宅がオフィスで国内外と繋がり、仕事をしているし家賃払って事務所を構える時代ではないし、会議ならSkypeですべて事足りるし、何もかも時短になり金銭面が一番の節約になる。

昔からネットサービスを利用して、見えない相手と繋がる物はあって、SNSの走りとも言えるヤフーチャットやメル友掲示板など、数多くのソーシャルコミュニティーを使って私は遊んできた。
2013年311
その繋がりをすべて断ち切った。
それは、あの時の大地震で誰もが不安と不穏に駆られ、精神的に神経が混乱していた。
揉めなくて良いのに、それまで5年以上の文字や声の繋がりをして来た人たちが、喧嘩やブロック、削除のやり合いで、『〇〇さんと縁切ったから』とスクリーンショットを送り合っては縁切りのし合い。
そんな事が沢山起きて、もうここらが潮時と思い、アプリもアカウントもすべて削除とアンインストールした。
やり始めた時から、ずっと思っていた。
「所詮、これは電源を切ったら終わり。そこにリアルもバーチャルもない。削除したら、それで人間関係なんかなくなる。だからこそブラウザの向こうには生きた生身の人間が居て、すべてがリアルなんだ」
ネットワーク上のリアルな人間関係を消した。
見えない相手だったけれども、生身のバーチャルな人間をアンインストールしたような味気の悪い思いだった。

それから6年経って、今またソーシャルネットワークのコミュニケーションが少し再開され始めた。
何となく、虚しさがフラッシュバックする。
6年もネットコミュから離れると、ネット用語や会話も変わって、色々と言い方が分からない時があるが、それって何?と聞くと、一応に皆『こんなような意味かな?よく知らないんだけど…』と返って来る。
そう言う人たちが、文字当たりという言葉や文字圧、文字馴染みなどと言うのだ。
そうして雑談を延々と・・・毎日・・・。
お初と言っていた言葉は、初見と言うようになって、初見さんは、文字馴染みさんに昇格するまで、かなりの交流をして信頼を得ないと上がれない様子なのを直ぐに察した。まだ3、4回しか絡んでないのだが。
とても手軽で気楽に始められるようになったネットコミュが、こんなにも慎重になって、こんなにも狭い世界の警戒心の強いものになった事が私には驚きだ。

6年前のように、自分を覚えてもらおうとして、ちゃんと会話に参加してますよ、と分かって貰おうとして、コメントを書き込む。
会話が広がる。弾む。親しまれる。
ところが、文字圧という訳の分からない無言の圧力をふっと感じた。

初見のお前が何をバンバン書き込んで、会話弾ましてるんだよ!
馴染みを飛ばして、シャシャッてるんじゃない!

感じ取ってから、しばらく黙って様子を見た。
書き込んだら、また、そういう雰囲気アリアリで『~ですよ苦笑』と遮られる。
ああ、なるほどね。
自分たちは、もうどれだけ関わって来たのか、初見のお前が美味しいトコ持ってくな!って言いたい訳か・・・。
だったら自分でキャスを立ち上げて、主になってやればいいや。

そう思って、ツイキャスを自分の枠とやらで立ち上げて、始めた。
その有名な人とお馴染みの仲良しさんが、私のツイキャスにひょっこり遊びに来てくれた。
誰が誰と、どういう関係なのかも繋がりなのかも知りませんよ?
だって始めたばかりなんだから・・・。
とても親切にシステムを教えてくれて、その人も昔ヤフチャをやっていたとの事で仲良くなれて、ワイワイと笑いながら面白がって、コラボとやらをした。
それがどこかで噂になったらしく(ここがSNSの凄さと怖さ)文字圧を掛けて来た張本人が入ってきた。
一発で「あ、スパイ」と思った。

いつでも、どこでも、やっぱり、そういういやらしい人は居るものだ。
そんな事が実に面倒で、ましてや6年前に訳の分からない削除に遭って嫌気が差したからネットコミュもソーシャルネットワークも辞めたのに・・・。

ユーチューバーも人の子。
そうじゃなくても、人の子。
ネットコミュで遊んでる人も、ぜんぶ人の子。

そんな腹の探り合い、人気取り、ゴマすり、媚売り、崇拝信者、やってて面白い?
それが、どういうステータスなのか知る気もないけれど、圧力掛けてまで、人の楽しんでいる事を邪魔しないで欲しい。

ソーシャルネットワークの淋しさをまざまざとフラッシュバックさせられた。

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