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無限の「またね」

用事があって、数十年前に通っていた中学校の近くを久しぶりに歩きました。

その四角で、三方に分かれて、
「バイバーイ、またね〜」と手を振っていた頃の記憶が蘇り、
微笑んでしまう。

延々と繰り返される「バイバーイ」

随分とおばちゃん(おじちゃん)になったね私たち^^

おそらく、私たちはまた「分かれ道」にいて、
それぞれの道を歩いて行く。

・・・

どの道を選んだとしても、
私たちは結局のところ、またどうせ
どこかのステーションで、
ばったり会って。

お茶でもしながら、
「そっちの道どうだった?」
みたいな話で盛り上がる。

・・・

私たちの魂は何度も何度も、
ご縁のある魂とそんなことをしているような
そんな感覚に陥る事があります。

・・・

私の専門は美術史なので、
情報がなんというか、、偏っているかもしれませんが、
ある「名画の旅(持ち主が転々と変わる)」なんかを追って調べていると、
人間の一生分の時間では、
見る事ができない、ハッピーエンドというのがあって。

数百年にわたる、複数の短編が絡み合って、
それがある地点。
ある時代のある場所で、見事に回収される。

出来過ぎなんじゃ、という偶然やら奇跡が重なって、
あるべき場所に、その絵が、たどり着く。

なんて事がままあるようです。

過去生では手放さざるを得なかった絵に、
今世で、こうしてまた会えた。

絵の前にたたずむ、そんな人物の後ろ姿。

みたいな絵を、中学生の頃に描いた覚えがあるのですが、

今でも

そんな、ファンタジーを。ついね。
思い描いてしまいます。

・・・

カラーセラピーのセッションで
ご自身と他者との関係について
気持ちを整理するようなワークがあるのですが。

時折、他界された大切な方との対話を
希望されるクライアントさんがいらっしゃいます。

そのクライアントさんは、大切なそのかたとの
対話(あくまでご本人のイメージの中でのですが)の最後に、

「またね」

とおっしゃって、晴れやかに微笑まれていました。
その声音は、愛や確信に満ちていて、

ともかくそのクライアントさんと、その大切な方は、
「また」きっと、出会うんだろうなと。

・・・

道を違える事があっても、
それぞれに何を選ぼうと、
どうせ私たちは、
一つところに戻って行くだけ。

なんて、妙なことを書きたくなっちゃった夕暮れです。

陽が落ちるのが早くなりました。
暮れる前の数分のキラキラ感、美しいですよね。

「またね、おひさま。」


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