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パリ、オルセー美術館で、初めての「前例」となった思い出

もう20年も前のこと、両親とパリを訪れました。私はヨーロッパへスケッチに行くことが多かったので、パリの街はなんとなく馴染みがあり、おおよその土地勘はあったのですが、、、

その日は、両親を連れてスイス、イタリア、フランス、と回ってきた周遊旅行の最終日。オルセー美術館で旅の最後を飾ろうと、名画を楽しみながら、館内を巡っていました。1フロア見終わったところで、両親がトイレに行きたいと言い出し、トイレの入り口で父と別れた後、突然、事件発生。

館内に鳴り響く、大きな警報。とともに、館員がやってきて、観覧者はすべて最寄りの出口から外へ出されてしまいました。どうやら入場者の中に、爆発物を持ち込んだ人がいるとのことで、大騒ぎです。
人波に押されて近くの出口から押し出されてしまい、父が見つかりません。
その数十分後、「問題ありませんでした」と、先ほどの避難口から再び館内に戻されたものの、どこにも父が見当たりません。

美術館の受付へ行って、父と行き別れてしまったことを伝え、館内アナウンスをお願いできないかと交渉することに。すぐに館員が英語で放送してくれましたが、父は英語はわかりません。「日本語じゃないと父には伝わりません!私にアナウンスさせてください」と頼み込みましたが「そんなことは許されない!」と取り合ってくれません。それでもしつこく、死に物狂いで説得した結果、「わかった。では、私が日本語で話すから、アルファベットで書いてくれ」と。
そして、おかしな日本語が館内に流れること、数回。どう聞いてもフランス語。日本語には聞こえません。でも館員側は『プライドを捨ててここまでやってやったんだ』とでも言う態度。「こんなことは前例がない!これが自分らにできる精一杯だ」と。

その後、美術館の周囲をぐるぐる歩いて、探すこと1時間。『明日の朝、帰国なのに、どうしよう。こんなところで父が行方不明になってしまうなんて…』。
動揺が走る中、もしかしたらと宿泊中のホテルに電話をかけると、、、
「ムッシューは、帰ってきておいでですよ」。

なんと父は、ホテルカードもなく、地図もなく、一人でホテルに帰っていたのでした。その日の朝、初めて歩いてきた道を30分辿って。男性は土地勘が鋭いと聞いたことがありましたが、驚くと同時に胸をなでおろした事件でした。

こちらがそのホテルです。この中庭で、最後の朝食を頂いて、翌朝、無事に帰国の途につきました。


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