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カラフルな結婚の形

 今年の3月17日、札幌地方裁判所で歴史的な判決がありました。同性婚を認めない現在の民法&戸籍法は憲法に反する!として同性カップルの方々が国に賠償を求めて起こした裁判の判決です。

 先日5月3日は憲法記念日、日本国憲法が施行された日でした。当日は憲法ってあまり身近に感じられないかもしれないけど、実は僕たちの生活に深く関わっているのではないか、という話を書きました。

 実は結婚も憲法で保障された権利の1つです。

日本国憲法第24条 「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。」

 ものすごく簡単に言えば、「お互い愛し合ってれば結婚してOK。財産に関する取り決め等々は男も女も関係なく平等に考えて決めようね!」という事です。

しかし、「愛し合ってればOK!」なのですが、ここで問題になる文言があります。それが「両性」という言葉です。この言葉は「男と女」という性を前提にしているのでしょうか?そうだとしたら、男と男、女と女では結婚できないのでしょうか?これが今回の裁判の1つの目玉になりました。

 この記事では、憲法が実際に裁判所などでどのように使われ、私たちの生活に根差した様々な権利や習慣(今回の場合は結婚)にどのような影響を与えているのかを書いてみたいと思います。

 少しややこしい話になってしまうかもしれませんが、興味のある方、ぜひ読んでください。

(LGBTQについてはカラフルデモクラシーでも以前に扱っています。よろしければ読んでください!)


 憲法24条の「両性」とは男女の事を指しているのか。このことについては、この条文ができた背景を知った上で考える必要があります。

 憲法がわざわざ結婚というものに個別に言及しているのには理由があります。戦前の社会には、家制度というものが存在しました。(1898年明治民法において確立された。)家制度の下では、家族の長である戸主が権限を持って家族を統率していました。戸主は家族の結婚に対する同意権を持っていて、戸主の同意なくして結婚することができませんでした。「私は◎◎さんを愛している!結婚したい!」と思っていても、戸主が一言「だめだ!」と言えば、その愛は実を結ぶことができなかったのです。

 また、戸主は家族の居場所を指定することもでき、支持に従わない家族は離籍させ、家族のメンバーから脱退させることができました。これらの権限は基本的に長男に相続され、女性に相続されることはありませんでした。

 これに対し、妻はほとんど権限を持っていませんでした。女性の無能力規定と呼ばれる規定があり、夫の同意なくして契約などの法律的な行為を行うことができなかったのです。加えて財産を持つ権利(財産権)を持つこともできず、女性の財産の管理・使用は夫が行いました。子供の親権も夫のみが持ち、女性は持つことができませんでした。

 更に、女性には貞操義務が課され、夫以外の男性と関係を持つと処罰の対象になったのに対し、男性は子孫を残すために妻以外の女性と関係を持っても罰せられることはありませんでした。女性の不倫は罰せられ、離婚の理由になったのに、男性が不倫しても罰せられず離婚の理由にもならなかったのです。

「パパが絶対」の社会だったというわけです。

 こういった状況の反省から、戦後制定された憲法は第24条で、結婚が「両性の合意のみに基づいて成立し」本人たち以外の同意がいらないこと、誰と結婚するか、どこに住むか、財産をどうするのか、といったことに関しては「両性の本質的平等に基づいて」決めなければならない、と定めたのです。この条文の原案が、当時GHQの通訳として日本に来ていた20代のアメリカ人女性、ベアテ・シロタ・ゴードンさんによって起草されたことは有名です。彼女は戦前、子供時代を日本で過ごす中で目にした日本人女性の苦しみを何とか解消しようと、新しい日本国憲法の原案にこれらの条文を盛り込むため、尽力しました。

 戦後、この憲法に基づいて改正された現在の民法では、家制度が廃止され、家族を団体ととらえる規定が一切なくなりました。家族の関係は、夫と妻、親と子供、親族間すべてにおいて、個人と個人の関係として定め直されました。更に成人した後の子供の結婚に対する親の同意権を廃止しました。女性の無能力規定はすべて改められ、女性も財産権を持ち、子供の親権も結婚している間は共同で持つことが決まりました。不貞行為に関する責任の所在も男女平等になりました。

 上記のような歴史を持つ日本国憲法第24条。果たして同性婚は憲法によって保護されていないのでしょうか?

 多くの憲法学者や民法学者は、この憲法24条が同性婚を禁止している、とは解釈していません。その成立の経緯から見て、この条文は結婚が当事者間の合意があれば成立する、という事を明確化し、全ての人に愛する人と結婚する自由を与えようとするものであり、その趣旨に照らせば、たとえ同性同士であっても、愛し合う2人に対しては当然異性カップルと同様の保護が与えられるべき、と解釈されるからです。

 札幌地裁における裁判においても原告側である同性カップルの側は、24条に関して以上のような主張をしました。判決は、「現行の民法が制定された当時は、同性愛は精神疾患の1つとして捉えられており、結婚は当然男女の間でなされるものという共通認識があった。更に、条文が両性という男女を想起させる言葉を使っていることを考えると、憲法24条はあくまで異性婚の保護を目的としたものである。」と結論づけました。

 制定当時の状況を考えれば、同性婚の事は全く考えてなかったな、ととらえることができるので、この条文自体が同性婚を保護しているとは考えられないよ、という事です。しかし気を付けなくてはいけないのは、同性婚を禁止しているわけではない、という点です。判決ははっきりと24条が同性愛者に対して法的な保護を与える事を禁止しているとは読めない、と明言しています。

 同時に原告は、同性婚を認めないのは差別に値し、差別を禁止した憲法第14条に反する、との主張を行いました。異性を愛する人は、愛する人と結婚できるのに、同性を愛する人は結婚することができない。これは差別だ!という主張です。

憲法14条 すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

 この憲法第14条は「合理的な根拠がない限り」差別を禁止したものである、という風に捉えられています。

 異性愛者は結婚できるのに、同性愛者は結婚できない、というのは合理的な根拠に基づいた区別なのでしょうか?

 国側は「同性愛者であっても、異性との間で婚姻することは可能なので差別はない!」と主張しました。これに対し裁判所は、判決の中で「性的指向とは、人が情緒的、感情的、性的な意味で人に対して魅力を感じることであり、このような恋愛・性愛の対象が異性に向くのが異性愛、同性に対して向くことが同性愛である。」としたうえで、結婚の本質は「両性が永続的な精神的及び肉体的結合を目的として真摯な意思をもって共同生活を営むことにあると解される」としました。(裁判官が結婚の本質とは・・・・、と哲学的にもとれる難題を一生懸命考えてると思うとなんだかおもしろくないですか?)

 これらの事を考えれば同性愛者が性的指向の一致しない異性と結婚してもそれは同性愛者にとって結婚の本質が伴ったものにならない場合が多いと考えられ、そのような結婚は憲法24条や民法&戸籍法が想定している結婚ではないよ!と指摘しました。

 これらの事から照らせば、同性愛者も異性と結婚することができるから差別はないよ、異性愛者と同じ権利を持ってるよ、と解釈することはできない、というわけです。

 更に裁判所は同性愛はもはや精神疾患とは捉えられていないこと、また、個人の意思で決まるものではなく、さらには治療をして治すものでもなく、人種や性別となど同様のものであるという事ができる、としました。このように人の意思によって選択・変更できない事柄に基づく区別取り扱い(法律の世界では差別の事をこう呼ぶらしい)は基本的には憲法14条の禁止する差別にあたると考えられるため、今回の判決では同性婚を認めないのは憲法に反する、と結論づけられました。

結婚は何のためにするの?

 皆さん、結婚はなんのためにするのだと思いますか?子供を産むため、愛する人と一緒に生きていくため、生活を安定させるため?・・・・。いろんな考え方があると思います。

 被告である国側は今回の裁判で、「結婚とは自然生殖関係の保護を目的としている。」と主張しました。子供を産んで育てる関係の保護を目的としているので、自然には子供が生まれない同性カップルに結婚を認めないのは合理的である、という主張です。


 皆さんはどう思いますか?結婚は子供を産み育てるためにするものなのでしょうか?

 判決は婚姻制度の目的は、「夫婦が子を産み育てながら共同生活を送るという関係に対して法的保護を与えることと共に,子の有無にかかわらず夫婦の共同生活自体の保護も,重要な目的としていると解することができる。」としました。子供を産み育てる関係の保護はもちろん重要な目的だけどそれだけじゃないよ。同時に子供がいるかいないかに関わらず夫婦の共同生活に保護を与えるっていうのも重要な目的だよね!という事です。

 このことからも、同性愛者に対し、異性愛者に与えられる保護の一部でさえ与えられていないのは、差別に当たる、と判決を出しました。

 このように同性婚を認めないのは違憲だ!との主張は一部認められましたが、今回の判決では、原告の請求自体は棄却されています。原告は立法不作為といって、憲法に従えば、国が制定すべき法律や制度を制定していなかったのは、職務怠慢だ!賠償を求める!という主張をして裁判をしていました。しかし、この立法不作為が認められるのには、憲法違反であることの他にもいくつかハードルがあり、今回は認められませんでした。原告側は控訴(地方裁判所の1つ上の裁判所、高等裁判所での裁判を求める事)をしています。控訴審の判決がどうなるのか、また全国の他の地裁で現在行われている裁判の判決がどうなるかにも注目が集まります。

同性婚に反対の人達の意見

 この記事では同性婚を認めないのは違憲、として判決について細かく書きましたので、同性婚に肯定的な意見がメインになりましたが、同性婚に反対している人達もいらっしゃいます。彼らはなぜ反対なのでしょうか。

 正しくない知識に基づいた差別的な意見がある一方で議論に値する意見もあります。裁判で国が主張したような、婚姻制度の目的については議論があってしかるべきでしょう。婚姻制度の目的は、子供を産み育てる関係にたいして保護を与えるものであるべきなので、同性婚は認められない、とする意見も今回の判決では否定されましたが、必ずしも差別的な意見とは言えず、議論の余地があります。

 少子化するから反対、という意見もあります。しかしこれに対しては同性婚が認められていないからといって、同性愛者が異性と結婚するわけではないので、論理的ではないとの指摘がされています。

 当事者の間にも一部に反対意見が存在します。異性愛文化に同化することに反対、というものです。今まで同性愛者は同性愛者で独自の文化を作ってきたのだから、なにも異性愛の文化と一緒になる必要はないんじゃないか、という意見です。

 

 いかがだったでしょうか。様々な意見があり、一概にどれが正しいということはできません。しかし憲法はなにも理念を謳っただけのものではなく、長々とかいたように、権利が認められていない!と思ったときに戦う武器にもなるし、世の中に存在する様々な問題を整理し、結論を出していくときにとても大切な役割を果たしているのです。

 憲法について色々しって、考えるの、なかなかの面白いですよ?

        カラフルデモクラシー 松浦薫


参考資料 

① MarriageForAllJapan主催 5月3日開催 オンラインイベント

憲法記念日×結婚の平等 特別シンポジウム 「いま明かされる憲法誕生ストーリー ~憲法は同性婚を禁止していたのか?~」

② HUFF POST 記事

③ 判決文全文

④ TBSラジオ「荻上チキ session 22」4月27日特集

「同性同士の結婚が認められないのは憲法違反。札幌地裁の判決から考える同性婚の行方」 

⑤ Job Rainbow 記事


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