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「ただいま」と言える場所があること

私の両親は離婚をしていて、私が高校1年の時、このピアノのある実家を出て母と暮らし始めた。

私は父と会ったり、実家の出入りを自由にできるが、家からの道のりに坂があってなかなか行く事ができず、年に2回行けたらいいかなくらいのペースだ。

多くの家庭は、一度離婚すると父母のどちらかに引き取られ、それまで住んでいた家を「実家」とは呼ばないと思います。一般的には、初めて一人暮らしをするまで住んいた家のこと(親元)をいうと思います。私の場合は、円満離婚なので、何年経っても父が住み続ける限りそこが実家なんだ。

よく、友人などと話す時に「いや〜この前久しぶりに実家に帰ってさ。」なんて言うと、「え?今一人暮らしなの?」って言われる。

今回、実家にあるピアノを手放す決断をしました。地域柄、雪が降ると業者や大型車両が入ることが大変になるので、夏のうちに。と悩みに悩んで決めました。生活環境や、私の体調、経済的事情が変わり都市部へ近々引っ越す予定で家や仕事を探しで動いています。その中で、今後はアパートかマンション暮らしになってピアノを置ける広さの所に住む事はないだろう、引っ越しの度にピアノを出し入れするとお金もかかる。いつまでも一緒にいたかったけれど、弾けない・管理し続けられない。それを考えたら、状態のいいうちに、必要としている大切に使ってくれる人の元へと考えた。

今まで、実家に帰る理由は、お正月やお盆、法事など年の節目の行事とピアノのメンテナンスのためだった。これからピアノがなくなって、実家に帰える理由がほぼなくなる。父や祖母とは時々電話して、元気かどうかわかればそれでいいか
らあまり自分かれ「帰りたい」とは正直思わない。

けれど先月、本格的にピアノ買取に向けて動き出すにあたり、半年振りに帰って父や祖母と話す中で、いい雰囲気で過ごせたなぁ。と感じた。どうしてだろうとよく考えてたら、無意識に「ただいま」と言っている自分がいるし、「おかえり」と必ず言う祖母。少し照れくさそうに「おう!久しぶりだな。元気か?」と聞く父。がいるからなんだろうなと思った。 離婚当初は、意識的に「ここは私の家だ。」だから遠慮なんてする気もない。住む人が変わろうとも私は今まで通りピアノの弾くために帰ってくる。そう、祖父母に行動で示すために「ただいま」と言っていた。母と一緒に出て行ったとはいえ、実際に家を出たのは母だけで、私の籍は残っている。母が学校とか音楽活動、友達関係、進路、色々な面で不自由のないようにそうしてくれた。昭和の人間、特に祖父母の世代はそういうことをきにする。法的にもきちんと私の名を残す事で、祖父母は私を認めてくれると母も私もそう思った。
ここ数年は、私が父と親子として向き合える時間が増えたこと、祖父母が私を障害があるのによく頑張る立派な孫だ!かわいい孫だ!自慢の孫だ!と思ってくれているのがわかり、堅苦しい事はどうでもよくなった。  
そして、先月は初めて「また来るね」ではなく「行ってきます」と自然に言っていた。自分でも驚いた。 

両親は互いに、自身の離婚や育った家庭の事情で「実家」と呼べる場所はもうない。そんな中で私は「ただいま!」と言い、いつでも帰れるところがある。これはなんて幸せなことだろうと深く感じた。

ピアノがお嫁に行っても、きっとこれからは大丈夫!
前より帰りたいと思える家になったから。私がこの育った地を離れるまで、なるべく多く帰ってあげようと思った。

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