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窓の外の雪景色を見ながら「生きる」ことの意味を考えた日の答え合わせ

朝起きて、トースターにパンをセットして、コーヒーを入れる。その間に手帳を開いて前の日の夜に書いた今日やるべきことを見返すのが私の毎朝の日課だ。

今日と明日、1/4にあげるべき求人広告3本の打ち合わせを済ませたら、今年の仕事は終わりだ。それに今日は大好きな舞台を観に行ける。いつも通り頑張ろうと手帳を閉じようとした時、床に手帳を落としてしまった。

開かれたのは去年の12月最終週のページ。ちっちゃくて、覇気のない文字で「テストライティング打ち合わせ」って書いてあった。

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その頃の私の体調は最悪で、好きなサッカーにも行けないし、倍率が高くてなかなか手に入らないライブにさえも行けなかった。人混みが異常なほどに怖かった。電車に乗るたびに心臓が飛び出るくらいドクドクなってたし。

大好きな友人たちとの同窓会にも行けない、「会いたい」「話したい」って言ってくれる友人に「LINEならいいよ」ってしか言えない、そんな自分が嫌いだった。

それで、地元に逃げるように帰った。雪が静かに降る様子を、自分の部屋の窓から見ながら「この先、私はどうなってしまうんだろう。」だなんて考えていた。やりたいことはたくさんあるのに、行きたいところはたくさんあるのに、体はついていかない。それがすごくもどかしかった。

親にも友人にも恋人にも迷惑しかかけれない、心配しかかけれない私に生きている意味はあるのかなんて、よく考えたものだ。それで、そんなダメな自分から抜け出したくて、ずっと求人サイトを眺めていた。

そんな時に見つけたのが、在宅OKの業務委託の求人広告のライターの仕事だった。周りの友人が、普通に働いている中、一銭も稼ぐことができない自分。そんな後ろめたさから逃れるために、応募したものだ。

テストライティング、電話だけで進む打ち合わせ。相手の顔が見えないからこそ、「なんとなく」だとか「雰囲気」で言われてもイメージできない、リモートワークだからこそ感じるコミュニケーションの大切さだとか、言語化することの大変さを学んだ。

「もっと自分のモヤモヤから目をそらさずに困っていることを言語化して、誰かに話せたら…。何でも話せる人が社内にいたら、自分が何が嫌なのかを言葉にしていたら、こんなことにならなかったかな…」なんて思った。

全部たらればの世界。できなかったからこそ、描く理想に嫌気がさした。とにかく、ストレスでドクターストップがかかった自分を社会からドロップアウトしたダメな人ってしか受け入れられなかったのだ。

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1年経って、声を大にして伝えたいのは「休職すること」は情けないことなんかじゃないということ。そして、あのころの自分が思っていたように「人生終わった」なんてことには幻想にすぎないこと。

古くからの友人には「今が一番楽しそうだね」ってよく言ってもらえるように、私は今とても楽しい。でも、勘違いしてほしくないのはフリーランスだからじゃない。フリーランスだから楽しいんじゃなくて、やりたいことから目をそらさずに言語化できるようになったこと、自分の欲求から目をそらさなくなったからだと思う。

「こんなもんさ」「しょうがない」ってことで済まさなくなったのだ。

正直良いことばかりじゃない。個人で仕事をすることで、マウンティングを感じる日もあるし、ちょっとしくじった日には「ライターとして生きていけないかもしれない」って落ち込む日もある。

組織で働くか、個人で働くか、良く論争が拡げられているけど、そんなのは手段の話だけだと思う。結局大切なのは、どこにいるか、どうやって働いているかじゃなくて全部自分次第。そして「人生終わった」なんてことは、そうそうに起きないし、巻き返すことなんて意外とたやすい。

とりあえず、すんごい壮大なことはなんにもなしとげていないけど、去年、何もかも悲観的にとらえていた自分は、今、それなりに生きている。去年よりも大好きな人たちが増えた。それだけで最高だ。

だから、今年を振り返るとするならば、「よく頑張ったね」って、朝に入れたカフェラテに砂糖を3本足したくらいの超甘めの自己評価をつけてあげたい。

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