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筆圧の濃い自分を好きになった日

いつからだろう。わたしは嫌なことがあればあるほど、紙に書き出す。

結局私が毎日一定数を超える原稿を書き続けれないのは、紙厨なところにも起因しているのかもしれない。

思ったままに書く、違うと思ったら消す。それがめんどくさかったら、ぐじゃぐじゃに塗りつぶす。見返したときに、こんなこと考えてたなんてって顔から火が出るくらい恥ずかしくなっちゃって見たくもなくなったら、丸めて捨てる。

でもこういう消す行為が、完全に消えないのが紙だったりする。ぐじゃぐじゃの中にあったり、透かした先に見えたりするんだもの。

小学生の時、全員忘れ物しなかったらお楽しみ会をやるっていう日があった。絶対に忘れない。前の日何度もランドセルを開けたり閉めたりして、何度もそれがあることを確認した。そして次の日の朝、宿題の提出箱にいつもよりも丁寧に置いた。みんなと出した?って確認しあった。だけど、先生はクラスで1人だけ忘れた人がいると話した。がっかりした次の瞬間、忘れた人はーーと私の名前が呼ばれた。そんなはずはなかった。泣きながら否定したけどないものはないのだ。学級委員長だった私は素直にクラスのみんなに謝った。もやもやしたまますごしたせいかその日のことはあまり覚えていない。ただ悪い夢なら冷めればいいのにと願っていた。

それから数時間後、先生に呼び出され別室に。そこには涙目になったクラスの男子と先生がいた。そして、その子に忘れたのは僕で、たまたま1番上にあったプリントの名前を消して、書き換えました。ごめんなさいと謝られた。

私の態度に違和感を感じ名前の欄を見てみると、名前が消え切れていないプリントを見つけたのだという。この時ばかりは筆圧が濃くてよかったと感謝したものだ。

彼がこのことを覚えているかはわからない。もしかしたらぐちゃぐちゃにまとめてなかったこととして捨ててしまった思い出の1つになっているかもしれない。

一方のわたしにとっては忘れられない思い出だ。だからこうやって乱雑な記憶をたどっては文章にしているのだと思う。

自分の嫌いなことも、ほんの少しのきっかけで好きになれる。そんな風に思わせてくれた、最初の経験だった。

#毎日おきあり #日記 #思い出

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