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誰かになろうとすることは辞めたースランプの原因

ここ最近、スランプに陥っていた。

取材でも思ったようなことを聞けない。原稿を書き上げても、全然面白くない。「あー提出したくない。あー提出したくない」そんなことを言いながら、タイムリミットがやってきて提出することになる。「私はこんなんじゃないのに」そう思いながら、原稿を提出しなきゃいけないのが、本当につらかった。

たいそうな賞をもらっておきながら、なんてダメな人間なんだろうと本気で落ち込んでいたし、申し訳なさしかない。そしてなによりも「なぜこうなのか」がわからないのがつらかった。

そんな中で迎えた、ある方のインタビュー。怒涛の3日連続取材の最終日のことだった。

悲しいことに、その日も「これだ!」というエピソードが引き出せない。「なんだ、インタビューってめっちゃ楽しいし、もしかしたら私の天職かも!」なんて一瞬でも思っていた自分のことが恥ずかしくなった。悔しい。まじで悔しい…「あー取れ高…あー…」相手の話も上の空で、次の質問をどうしようと考えていた。

そんな時インタビューイーが私の質問に「僕ね、1番になろうと思うのを辞めたんですよ」と答えた。この言葉に、私の心臓はドクっと音を立てた。

―――

思えばここ1ヶ月。私は「1位にならなきゃ」「読まれる記事を書かなきゃ」と勝手に焦っていた。だって、そうじゃなきゃ、チームのメンバーにも示しがつかないと思ったから。

でも、それがよくなかった。

というのも、私は皆が思うよりも超真面目だ。自分で言うことじゃないかもしれないけど、noteを読んでくれている人の大半は、きっと私にポジティブな感情を抱いてくれているはず(と信じたい)だから、今日は特別に話そうと思う。普段は「まじめです!というなんて、ださい!かげで頑張った方がかっこいい!」と思っているんだけどね。

まず、自分の記事が掲載されるメディアのランキング1位から100位までの記事をほぼすべて読んだ。これに加えて、編集さんから戻ってきた赤と自分で後から読み返したことをぐちゃぐちゃと初稿にメモしていった。今更ながら、ライティングとは…みたいな記事も読みあさった。

そうしていくと、嫌でも「なるほど!こういう感じね!」とわかってくる。私は容量が良い。だから、理解するまでは早い。それに「皆、難しい言葉を知っているんだな」と感心する。よし、こうなればいいはず!思えば、ここからスランプが始まった。

ちょっと話はずれるけど、私のライティングにおける強みは「どんなに難しい出来事や言葉でも、小学生が理解できるような簡単な説明をする」ということ。まあ、それはネガティブにとらえるとしたら「文章が稚拙」ということと表裏一体である。今まで何人の方から「言葉が稚拙」と言われてきたであろう…ちょっとしたコンプレックスになっていた。

それで、最近はなるべく難しい言葉を使うこと、誰かの文章に寄せることを意識して、そんな自分のコンプレックスを払拭しようとした結果、なんかまわりくどい文章、ちょっとイメージしづらい文章、そんな文章しか書けない自分になってしまったのだ。

ちょっとだけ「すごい」と言われること「期待している」と言われることに「応えなきゃ!」って必死になりすぎてしまったのだ。

―――

たぶん私の文章を好きって言ってくれる人は、私が何にも考えずに自分の中にある「おもしろい」に忠実に書いた言葉を好いてくれている。わかんないけど。

だから「誰かになろう」とか、「絶対的な1位になろう」とか思うことは辞めることにする。吸収するけど、自分らしさからぶれない。

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