解決しないを選択する解決

もう降参することにした。
本当は、誰とも関わりたくなくて、できることなら自分の世界に閉じこもりたくて、でも寂しがりだから本当の本当は誰かに見つけてほしくて仕様がない弱くてちっぽけな情けない自分を、受け入れようと思う。
そんな弱くて自信の無い自分で居てしまうと、一生誰も寄ってこないんじゃないか。一生一人なのではないか。そう思えて仕方がないが、今の私の精一杯はここなのだ。

無理やり人と関わろうとした。何かチャンスが待っているかもしれないと思ったから。
何度も同性愛者向けのバーに繰り出しては外に世界を広げようとした。
マッチングアプリに登録して恋人を探したが、自らの弱さを受け入れられなかったが故に就労支援a型の障害年金受給者という身分を詐称したことによりいい雰囲気を壊してしまったため、一度アカウントを消し今度は友人募集のみでの登録をした。でも、やっぱりもう、疲れてしまった。
自己紹介で語る身分説明で私は何度自尊心を傷つけたか。何度情けない自分を自分で目の当たりにして嫌になったことか。
もう本当は誰かと関わって傷つきたくない。
今あるもので賄ってはいけないだろうかという渦に吞まれている。
とはいえ、またリセットされれば私は寂しさに負け、性懲りもなく関わりに行くと思うので、今嘆いているだけだ。
ここまで来るともう一種の自傷行為なのではないかとさえ思えてくる。

今日、泣けなかった体は涙を流し続けた。きちんと涙に自分の気持ちという価値を付与しながら。
なぜ泣けないのだろうと彷徨ってきた。悲しいのに涙など流れなかった。
泣いたって解決しないからだ。
私にとって泣くことは、無駄でしかなかった。泣いたって何も解決はされないし、誰も助けてなどくれないものだったし、何より「負け」の象徴だった。
でも、もういい。お手上げだ。
無駄でいい。何も解決しなくてもいい。負けでもいい。とにかく今はこの含有物も分からないまま襲ってくる悲しみという波に身を任せて、ひたすらに涙を流そうと思う。流せるだけ流しておこう。
感情が押し寄せてきても、排出される前に先回りして分析する癖がある。そのため、この涙の存在自体が分からないと思えて仕方がないが、それでいいのだ。この涙自体が本物なのか偽物なのか、この涙で本当に私の中に溜まる澱が出ているのだろうかなどの疑念をいちいち考え出す脳みそを必死に無視し、涙を流し続けている。

何もかもに言い訳ばかりが出てくるが、結局私はただ悲しくて、寂しくて、認めてほしいだけなんだと思う。

私は、泣いたっていいんだ。どれだけでも泣いたっていい。一人で泣いてもいいし、一人じゃなくてもいい。どんなに情けなくみっともない姿で恥を晒そうが、他人の前でだって泣いたっていい。
解決策を練るよりも、何も解決しないを選択することの素晴らしさを、少しだけ知れたような気がした。


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