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感情のこと (2月3日の日記)

ものを書くとき、なにか特別に感情が動かないとなにも書くことが浮かばない。のだけど、今日はすごく久しぶりにnoteを書いています。多分、今日は竹久夢二美術館に行ったから。

好きな芸術家の作品を見て、刺激を受けたのだろう。頭が勝手に動いていろいろな考えが浮かんで、歩いてる途中でメモに書きつけた。
その中の一部を、今日の記録として残しておきます。

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最近物事にすごく無感動になっている気がして、なにかあっても基本的に「へー」とだけ思ってそれで済ませてしまう。多分、その方が自分の消耗が少ないから。
効率とか合理主義みたいになっているのはいい側面もある一方、ちょっとつまらない。人間としても、面白みに欠けるようになっていくんじゃないか。。

その反動か、こまやかな感情の動きや視点を持っている人をみると、すごい!とてもいい感性だねと思ってそれを伝たいと思ったり、実際に話しかけたりするのだけど、それが唐突だしぎこちなくて、なんかこのあと宗教の勧誘でもされるのではないか?というような不信感を与えてしまっているような気もしてちょっとこわい。(そんな意図はないのです。念のため弁明。。これは私の人との関わり方、距離のとり方つめ方にももっとやりようがあるのかも。)

豊かな感性をもった人になりたいな。ちいさなことにも気付けるような。

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休日、たまに外へ出てカフェにでも入ろうと歩いているんだけど、どこも満員だったりして、結局ただ散歩だけして帰ってくることがある。

それに特に一人で歩いていると、あまり賑やかなところに落ち着けなくて、人の少ない方少ない方と探していると全然見つからないのですよね。
こういうとき、ポーの「群衆の人」みたいだなと思う。群衆にまぎれて歩き続けて、自分の行く目的の場所がない人の話。

引用できる表現がたくさんあることは、そのときの状況や自分自身の(とくに心の)理解にもつながる。たくさんの人の表現を消化して自分のものにして、自分らしい表し方をみつけたい。

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夕方家に帰るとき、近所の家に子どもが入っていって、中から「おかえりー」って聞こえたのがすごくいいなと思いました。
人のあたたかい言葉。大事な人にかける言葉。

おかえりって言いあえる場所、たくさん持っていたらうれしいだろうな。

(アイキャッチはだいぶ前に中国の辺境で撮った写真。ロバがとても気に入っています。)

 

読んでいただきありがとうございます。 また来てくださるとうれしいです。