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火曜日のアヤカ/gelato piqueと中華風コーンスープ

アヤカが目を覚ましたのは、夕方五時半のチャイムの音のせいだった。
町内の子供に早く帰りましょう、と促すそのやさしい声はどでかいスピーカーを通すことで割れてしまっていて、若干耳障りだった。
「(こんな時間まで)」
枕元に置いてあった仕事用の携帯を見るとうんざりするぐらいの通知が入っていたが、アヤカ宛ての緊急性の高い話はなく、ほっとしてもう一度枕に顔をうずめる。
調子が悪いと気づいたのは、火曜日の朝に支度をしているときのことだった。
定例会議のために毎週火曜日だけは体裁として羽織ることにしているジャケットに手を伸ばしたときに違和感があった。
毎週同じジャケットを着ているからわかる。今日は少し生地が重たい。そして気だるい。
ふと不安になって道具箱に用意してあった体温計で熱を測ると37度を超えていて、ああ、と声が出てしまった。
これぐらいの熱なら、と思い切ってしまおうかと思ったが元から扁桃腺の弱いアヤカはわずかな熱で油断をするとそこから扁桃腺の炎症を起こして更に熱が長引いてしまうことが小さいころから癖になっていた。
そういえば最近の喉周りの調子を思い出すとあまり良くはなかったし、ほんのりとした腫れを感じる。

金曜日、総務部の女性に優しく『そろそろ最低限の年5日分の有給処理の残り分、お願いしなきゃいけないんだけど目処は立った?』と諭されたことも思い出して、(ついでに彼女の着ていたラフな青ストライプのシャツのことも思い出しながら)小さくため息をついたアヤカは上司に連絡をした。
『本日体調不良のため休みます。定例会議日に申し訳ございません。』
すぐについたレスは思った以上に軽く、最近休みを取っていなかったことにも言及をされて、『定例会議は他の担当の人とこちらで確認を進めておくので、どうぞゆっくり休んでください』と丁寧に締められていた。
持つべきものは寛大な上司ーー。と痛感したところでアヤカは早めに出社用の服からラフなパーカーに着替えてかかりつけの耳鼻科に行くことにした。

『発熱している方は事前に連絡をお願いします』

病院前に少しあせた紙で書かれた知らせに、マジかよと呟いた後で病院前で律儀に電話をかける。今ちょうど病院の目の前にいて扁桃腺炎持ちで、軽く発熱と喉に違和感があるだけなんですーーというアヤカの説明に電話越しの看護師さんは、併設の発熱外来で検査をしてからの診察になりますのでしばらくお待ちくださいと淡々と話す。
間も無く扉が開いてそこから現れた防護体制の看護婦さんに連れられて病院の裏手にあるテントに赴くことになった。
そこで素早く、鼻腔に細長い綿棒的なものを2連続で左右に入れられた。
いたい、と思う暇もなく、突然の痛覚から逃げるために多分今の私ぶさいくだったなと振り返っていた。

「これで検査をするのでしばらくお待ちくださいね」
「はい」

最近流行りのウイルス、2種とも検査してくれるらしい。手厚い対応だと思いながらぼうっとしている間にすぐに「どちらも陰性でしたよ」と声がかかる。

「じゃあ中にどうぞ、喉の診察するので」
「……はい」

思った以上に検査だけでダメージ与えられたと思いながらやっとの思いで入った病院内では、平日朝の情報番組が流れていた。
食リポの様子を見ながら今食べたいものに思いを馳せる。
具合が悪いと胃袋も引きずられるようで、最終的に出た結論は「コンビニのおでんくらいしか食べる気がしない」と昔聴いた曲で歌っていた詩が出てくるだけだった。

予想以上に早めに呼ばれたことに安堵して診察ではてきぱきと喉の腫れを見られて確かに扁桃腺が赤く腫れていることを指摘される。
解熱剤と抗生物質、痛み止めーーといつものラインナップを出されたところでほっとしたアヤカはやっといつも通りの症状だったと納得してありがとうございましたと礼をして受付に戻った。
会計で予想以上の金額だったのは発熱外来の検査分が入っていたかららしい。手痛い、と思いながら会計を終わらせて調剤薬局に向かう。
調剤薬局にはテレビがなく、その代わりに名前の知らない魚が沢山泳いでいる水槽を見ながら待っている間に、少しずつ具合がよくなっていくような気がしていた。

家に帰ってからとりあえず薬を飲むために冷凍ご飯を使っておじやを作って食べる。アヤカの実家は家族が具合を悪くするといつも味噌味のおじやをつくっていて、そこにしらすを載せるのが好きだった。さすがにしらすはない、と諦めたところでシンプルに味噌味のおじやだけを食べて薬を飲んでとりあえず布団に横になったところで、記憶はぷつりと途切れて五時半のチャイムに戻る。

思った以上に疲れていたらしい、と汗をしっかりかいていたパーカーを脱ぐと体温だけで湯気が立ちそうになっている。
着替え用に薄手の長袖に着替えてもう一枚上から羽織る。
その分身体は軽くなっていたし、喉の違和感の初期症状はなくなっていた。
念のために体温を測ると平熱よりも少し上ぐらいのいつもの体温に戻っていた。

これで安定すれば明日からは仕事も問題なく、とホッとしたところでふとおなかのあたりに違和感を感じる。
ああ、おなかすいた。
と、食欲と胃袋が結託した感じを久しぶりに感じたところで何を作ろうかーーと思案して布団に寝転んだところでアヤカは重大な事実に気付いて飛び起きた。

「(鶏挽肉!!!)」

余裕があればお弁当のそぼろ丼に使おうと思っていた鶏挽肉が余っている。挽肉はただでさえ賞味期限が短いが鶏となったら更に足が速い。
どうにかしないと、と起きたての頭で思案したところで、出てくるのは結局実家で慣れ親しんだ味だった。
材料はちょうど揃っているし、問題あるまいと判断したアヤカは立ち上がって台所へ向かった。

冷蔵庫から鶏挽肉と白ネギを取り出して、鶏挽肉はごま油を引いた鍋に入れておく。白ネギはみじんぎり……だが若干まだぼうっとしている今日は無理せず大きめのみじん切りにすることにした。鍋にネギを入れて、そこに更に冷蔵庫から取り出したしょうがのチューブをいつもよりも気持ち多めに入れて体力回復に役立ちますようにと念を入れる。
そこで火に掛けて炒め出すと、懐かしい匂いがした。

おじやを食べなくてもいい頃になると、いつも作ってもらっていたのはコーンスープだった。といってもポタージュではなく、中華風のとろみのついたもので、正しい料理名を知ってはいないがアヤカにとってのコーンスープと言えば中華の味がするこれが正解だった。

パチパチとはじける音と香りを堪能する間もなく、アヤカは買い置きの棚の中からコーンクリーム缶を取り出した。普段は買い置いていないが、この前どうしてもコーンバターが食べたかったときに間違えてクリーム缶の方を買ってしまって悔しがって台所の床でしばし呆然としていた時の残骸である。
(とはいえもうコーンバターの口になっていたアヤカはその足でコンビニに向かい割高のコーン缶を買って一人でたっぷりとコーンバターを堪能した)

クリーム缶を開けて一缶まるごと鍋に空けて軽くかき混ぜてから、空いた缶にそのまま水を全量入れてかるくゆすいでそれもまた鍋に入れる。そうするとちょうど良い具合の量でスープが出来る。明日の朝までは楽しめそうだった。
中華用のスープの素と塩とコショウで味をつけて、あとは沸騰したら溶いた卵を入れてかき玉にして、大さじ一杯の片栗粉と同量の水を混ぜた水溶き片栗粉を注いでとろみをつけたら完成。

つらくても作れるメニューは大事、と一人暮らしで学んだアヤカはスープをなみなみと丼に注ぐと食卓へ向かう。スプーンを片手にいただきます、と手を合わせて食べ進めると懐かしい味に気が緩む。じんわりとした暖かさは身体の弱っているところに染み渡った。

ふと視線を下げると今日は急に着替えたから変な服の組み合わせになっていることに気がついた。
ワンマイルウエアとして採用しているスウェット地のスキニーパンツ、数年前に行ったフェスで急に雨に降られて慌てて買った長袖のTシャツ、冬場の在宅勤務でよく暖を取るために着ていた赤いニット地の羽織り物。

「(……ちぐはぐすぎやしないかね。正直もうちょっと良い部屋着とか欲しいよなあ、大人たるもの)」

じぇらぴけとか?あとなにがあるっけ、と考えたところでふとそんなかわいい部屋着を着たところでなあ、と諦念のようなものが湧いてきた瞬間、アヤカは慌てて首を振る。

「(そんなことはない!いつだってじぇらぴけはかわいい!!いつ着てもいい!!)」

自分の認知のバイアスを解くためにも、スープを平らげたらECサイトで商品を見ようと決意をする。明日ぐらいは様子を見ないといけないけれど、週末は店に行っても良いかもしれない。かわいいものがあったら試着をしたっていい。

法治国家である以上犯罪以外を除いて、別に誰も何も禁止なんかしてないんだから、何やったって平気。
そう思うとアヤカは急に自分はなんだって出来るような気がして、どうせだったらウサギの耳とかクマの耳とかついてるやつも店頭で見てしまえと景気がいい気分になっていることに気がついた。

久々の休みと慣れ親しんだコーンスープの味は、思った以上にアヤカの気力と体力を充足と回復をさせたらしい。コーンスープはまだ明日の朝の分もあると思うと、いつも僅かに憂鬱な起床が少しは楽しみになるものだった。

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