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わたしの時間も、あなたの時間も、等しく有限である

先程何気なくTwitterを見ていると、以下のツイートが流れてきた。

https://twitter.com/badassceo/status/1302079059006955520?s=21

なるほど…と概ね同意の感情を抱きながらリプ欄を見てみてびっくりした。

「それは違うと思う」「それは常識だから」的な趣旨のリプ(めっちゃ意訳してます)がそこそこあったからだ。

リプ欄をザーッと遡っていって、一つの仮説が見えてきた。

ツイ主であるTestosteroneさんと、
ツイート内容に意を唱える人達。
双方で「時間への価値の置き方」が全く違うのだ。

人の一生は長いようで短い。
元気でいられる時間、思うように動ける時間なんて、それこそもっと短くなる。
そんな中で1日はたった24時間しかないと考えると、「自分の自由に使える時間を奪われること」は1秒であっても少なくしたいと考えるのはけっこう自然なことだと思う。

この観点からいくと、「お疲れ様です/ご苦労様です論争」や押印の角度については単純に「守って誰が得するマナーなのか」というところが曖昧だし、守った(指摘した)ところで自分や他人の時間効率が上がる訳でもない。
メールの活用は自分のスキマ時間でこちらの都合に合わせて返信が可能なのがありがたい。
分からないところはググる、は「それって『他人の貴重な時間を消費してまで』知りたいことですか?(そうでなければご自身で調べてね)」ってことだと思う。

一方で「そんなことではコミュニケーションが希薄になってしまう」という意見の方が一定数いる。

これ、すごくおもしろいと思ったんですね。
「終わり」を強く意識している人と、
「今、この瞬間」を強く意識しているとで
価値を置くポイントが全く違う。

前者は終わり(目標達成)から逆算するから時間に関してシビアになる。
一方、後者は何より「このコミュニティで今日も明日も円滑に過ごすこと」が最重視されるからこそ、貴重な時間を細やかなコミュニケーションに費やすことができる。

恐らくどちらが正解とは限らないし、どちらにも良い点があると思う。大事なのは互いに異なる考えを持ったもの同士がお互いのストレスなく働ける仕組みや工夫を考えていくことだ。

ただ、1つだけ思います。
「だってそういうもんだし、今まで私たちが守ってきたんだからアンタも守りなよ」という、思考停止で右にならえのルールなら即刻廃止すべき。
(個人的には押印の角度はそれに値すると考えてる)

今までの経験から何となく想像するに、そういう「なんか良く分からんけどマナー的に存在するルール」って、1人の人間の「良かれと思って」が発端になっているのではないかと思う。

例えば、始業前にみんなのデスク周りを掃除する人がいたとする。その人は良かれと思って、毎日みんなのデスク周りをきれいにする。みんなの喜ぶ顔がみたい、その善意ただ一つで。
それが何十年もたって習慣化されると、本人が居なくなって習慣だけが残る。その習慣はいずれ「暗黙のマナー」になって、善意が抜け落ちた義務となる。

こんな悲しいことってある???

考えたいのは、
・その行動がどのくらい必要とされているか
・その行動はなぜ必要なのか
・代替手段はないのか

効率化はお互いにとって意味のある思いやりがあればこそ実現できるのではないかなと思う。
わたしの時間も、あなたの時間も、等しく有限である。その貴重な時間をどのように使うかはわたし自身が、そしてあなた自身が決めてよいことなのだ。決して、他の誰かが勝手に奪って良いものではないのだ。

そのことは常に意識して生きていきたいと思う。

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