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夜を絞り出してため息

 日が沈んで夜が更けていくとき、私はいつも一本のチューブを思い浮かべる。歯磨き粉やトウガラシのペーストが入っているような銀色のチューブから、夜が絞り出されてバケツに満たされた水に溶け込んでいく。バケツの底にはビルが水草みたいに(あるいは泥の塊のように)張り付いていて、そのさらに下にミジンコみたいな私たちがうろうろしている。

 もう外は夜の色に沈み切っているに違いなかった。グラスに注がれるワインと同じペースで目減りしていく人生について考えながら、私は黒くて透明な液体をたたえたバケツのことを思い描いていた。

 気配りや尊敬や愛情や興味がテーブルやテーブルに置かれた皿や皿の上の料理やサラダトングを行き交いながら際限なく浪費されていく。その様子を眺めながら私もまた際限なく自分の精神性を浪費していた。この空間を保っているのは今のところ、そうした善意による無分別に利他的な共犯関係だけだった。6人が6人分の善意を空費しながら笑ったり笑わなかったり喋ったり喋らなかったりしていた。

 ただワインが減っていくことだけが私の救いだった。空けたボトルの数だけ私たちは正気を失うことができる。嘘を嘘と指摘することも、嘘を本当として信じることも欺瞞的で、ならば会話とは大体にして欺瞞でしかないから、この場も大方のところ欺瞞で成り立っている。でも少なくとも酔うことは嘘ではなかった。はやく酔いがこの場を支配すればいいと私は願った。

 ふるえるほど愛情に飢えていた私はある日、ぽっかりと頭上に空いた夜のことに気づいてすべてがどうでもよくなってしまった。何もかも手放した瞬間に、それまでの私が必死で繋ぎとめようと握りしめていたものは、重力が反転するように私の身体にすがりつくようになった。だから、空いた両手で私は掴んだ。一本のチューブを。

 2本目のボトルが空になったころ、赤い顔の男が私の方をよく見てくるようになったから、私は彼の眼の中にある空虚を探すことができるようになった。人の瞳をじっと覗き込むと、誰もがその最奥に自分だけの"うろ"のようなものを隠し持っていることがわかる。それは、ほんとうは人の中に誰も住んでいないということをよく示していて私は好きだった。眼の奥には何もない。それ以外のすべてがあらゆる感情に打ち震えるのだとしても。

 狭いエレベーターから降りた時、絞り出された夜が溶けきっているのを見た。一棟まるごとカラオケボックスでできているビルのネオンが大真面目に光っていた。私はなんとなくつないでいた手をほどいた。

 夜の底にへばりついたビルの隙間に細い溝みたいな道があって、その道のわずかなスペースを分け合いながら人が行き交い、私たちは滞留した泥の粒子として次の行き先を話し合っている。周りにも似たような集団をみとめることができる。

 夜はやがてゆっくりと水中を降りてきて、地面に染み込みながら消えてしまう。私たちはそれまでの動的な時間を分け合って生きている。だからなんでもよかった。それよりも最後の一杯を自分のグラスに注いでおきながら飲み干さずに席を立った倉田トオルが許せなくて、私は彼が何を言っても絶対に反対してやろうと思い、実際にそうした。それで私たちは鳥貴族で飲む選択肢を失った。

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