すなば

シティを好むライター。自由律俳句から掌編小説を発想して書いています。Twitter: https://twitter.com/comebackmypoem Blog: http://comebackmypoem.hatenadiary.com/

夜のあなた

親愛なる服屋へ

夜のあなたがきて夜になった

煙追った夏のゆくえ

笑えば酒がこぼれる

手には何もない夕さり

踏み鳴らした初めての街だ

向かい合って忘れあった話

おろした冬に袖を通す

眠ればあんなに遠くなった月

抱きしめた夢に生かされている

花は咲く夜のあなたに

盃とドーナツ

敬愛する伊達者へ

酌み交わせば夏が終わる海の話

話聞いている指先に火が点る

アジフライがきて黙っている

目の奥はまだ恋の歌

夜明けの街で眠ってしまった

愛は朝に書く手紙

道で口ずさむ歌がある

どんな日も声がした渋谷

歩いた先を家にしている

夜咄は皿の上のドーナツ

あなたの頭撫でた嘘のような朝日だった

ドアを開けて、粗く切り刻まれた無数の写真が雛を守る鳥の巣のように、座り込む彼女を取り囲んでいるのを見て、僕はもうここに居ることはできないと思った。彼女は俯いていて、眠っているようにも見えた。
 僕はリュックサックを下ろして床に置き、刻まれた写真の破片を踏まないように気を付けながら、彼女のそばに寄って膝をつき、身をかがめた。彼女は眠ってはいなかった。真下の一点を見つめながら、荒く、静かな呼吸を繰り返

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曇りの朝に生まれ落ちた話

冬子がアルマジロになりたいと告げた時、彼女の父は当然反対した。一度何か別のものに変身すると、もう戻ることはできない。人間以外のものになる選択をするというのは、同時に、家族と永遠にその縁を断たれるということだ。父のマンフレートは思わず節くれだった両手で自分の顔を覆った。冬子の決意が固いことは、彼にはもう分かっていた。女子高生だった頃にドイツ民族の男に変身した身である彼に、冬子の変身を止める権利などな

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君と金魚を見るということ

坂を登りきると生々しい匂いがした。水の音の方に振り向くと、青いプラスチックでできたプールみたいな生簀が地面に置いてあって、中におびただしい数の真っ赤な金魚がさらさらと泳いでいる。生簀には「1匹180円」と黒マジックで書かれた段ボールが立てかけてあり、その隣には両手で抱えられるくらいのアクリル水槽があって、水草の間隙を縫うようにグッピーがせわしなく泳ぐ。地面にそのような水槽が大小7つは置いてあった。

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夏の夜世界中が海

夜の海はどこまでも広がる虚無をたたえた膜のようだった。それは自分が知っている海とはぜんぜん違う姿で、もはや"姿"と呼ぶべきものがそこにあるのかも分からないほど茫漠とした、不安や恐怖さえも飲み込んでしまうような途方のなさがあった。
 温泉旅館の客室の窓から見た夜の海も、国道を歩きながら横目に見た夜の海も、海水浴場で花火をしたときの夜の海も、タヒチのビーチで見た夜の海も、夜の海は夜の海としていつも圧倒

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