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教育のためのコミュニケーション―このnoteでめざすこと

 ところでこのnoteだが、facebookで書いた入試についての記事を見た友達から「noteで発信したほうがいいよ」と勧められてスタートしたので、記念すべき最初のポストが、「はじめました」宣言も特にないままいきなり個別具体的なテーマとなってしまった。第3回にして改めてこのnoteで自分が表現したいことについて記しておこう。

「教育のためのコミュニケーション」という看板

 今回、自分のnoteに「教育のためのコミュニケーション」という看板を掲げてみた。これは僕が近いうちに設立しようと考えている団体の名前に想定しているフレーズでもある。

「教育のためのコミュニケーション」という言葉には違和感を覚える人もいるかも知れない。教育という営みはもとより人と人とのコミュニケーションなくしては考えられないのだから、わざわざ「教育のためのコミュニケーション」なんて言いのける必要があるのか、と。それはもっともなことだが、僕がここで「コミュニケーション」という言葉で示したい概念は、たとえば「コミュニケーション・ワーク」とか「コミュニケーション・デザイン」といった言い換えが可能なものだ。あるいは「戦略コミュニケーション」とか、より本質的な意味での「PR(Public Relations)」と読み替えたって構わない。
 つまり、単なるコミュニケーション一般というより、ある目的や意図をもって、コミュニティや個人に対して何かしらのコミュニケーションの状態が生まれるように働きかけ、その人たちの新たな認識や行動を促す営みのこと。そう書くとややこしい感じがするが、たとえば広告というのは、ある商品やサービスの存在や魅力に気付かせて、購入へと促すコミュニケーション活動だ。これをうまく機能させるためのテクニックというものが、広告代理店のような専門家集団を中心に実際に次々と開発され、試行され、実践されているのである。

 このような「コミュニケーション」の前に「教育のための」という言葉をつけてみる。

 もっとも発想しやすいのは、学校の入学者を増やすための広報活動かも知れない。僕も本業は大学の広報専門職だが、たくさんの人に受験してもらうことはもちろん大事な仕事だ。
 しかし、教育のもっとシンプルなこと、つまり、教える人と学ぶ人がいてそこで起こることに、広告やPRで使われるようなコミュニケーションのテクニックは活かせないものだろうか。冒頭で触れたように、そもそも教育という営みがコミュニケーションであるとき、そのコミュニケーションをより良いものにするために、広告やPRの現場で生まれてきたコミュニケーション・ワークの知見をもっと使えないだろうか。

学習のモチベーションとコミュニケーション

 たとえば、学習におけるモチベーションの問題。学習におけるモチベーションには、「勉強したら素敵なご褒美をあげるよ」というような、学習そのものとは切り離された外部的なインセンティブによって上げられるものもあれば、学習すること自体に楽しみややりがいを感じるようなモチベーションもある。前者を外発的動機付けといい、後者を内発的動機付けという。教える立場の人からすれば、走る馬の目の前に人参をぶら下げるような外発的動機付けではなくて、学習者が自らすすんで学びに取り組むような内発的動機付けをどう引き出すかが求められる。実際に内発的動機付けによる学びはよりワークするだろうし、持続もするだろう。
 内発的動機付けによる学びが起こっているというのは、たとえば、自分が夢中になって追い求められるような目的があって、そこへ向かうさまざまな活動の中に、学習活動が埋め込まれているような状態だ。プラモデルを美しく完成させたいと心から願っている人は、そのためのパーツカットやニス塗りの技術を学ぶにあたって、外発的なインセンティブなんて必要としない。平たい表現をすれば、学びを「自分ゴト」化できるかどうかが鍵となる。

 僕が以前勤めていた会社のボスであるPRプランナーの本田哲也さんは、ターゲットに対してあるモノやコトを自分ゴト化させるための空気づくりを、「戦略PR」と呼んでいた。世の中に数多とあるモノ・コトの中から、自分の会社の商品・サービスを認知してもらい、さらには関心をもってもらうためには、「これが今ブームになりつつある」「有名人が愛用している」という雰囲気や、自分の悩みや不安の解消につながるような期待感を醸成することが大事になる。そのためにはテレビやネットニュースで取り上げられていたり、憧れの人や友達が口コミで話題にしていたりすることが大きなきっかけとなるだろう。このような空気づくりによって、あるモノ・コトを「自分ゴト」=自分に関わり(relation)のあることだと感じてもらい、さらにそれをPublicな拡がりと接続させながら、社会ゴト化し、その関わりの質をよいものにしていくこと。それがPR=Public Relationsの本来の意味だ。

 このように考えると、学習者が学びを「自分ゴト化」して、内発的動機付けを高めていくようなアプローチにおいても、PRのいろんなテクニックは役立ちそうである。自分自身もそんなことを考えながら、大学のカリキュラムにPRの発想を取り入れるような提案をし、実際に形になったものもある。そうした具体例についても追ってこのnoteで紹介していきたい。

教育の営みとしてコミュニケーションを捉える

 最後に。
 自分は学校の教員を務めた経験がないこともあり、「教育のためのコミュニケーション」という言い方をすると、教育や学校の世界にPRや広告というコミュニケーションを持ち込むように受け止められるかも知れない。しかし、そもそも教育学徒の僕にとっては、これらのことはコミュニケーション(・ワーク)というより、教育という営みに属するものだという意識を強くもっている。
 今回書いたような学習の内発的動機付けのためのコミュニケーション・アプローチも、基本的にはカリキュラムに関わる課題に内包されるものであろう。だからこそ、このnoteにおける自分の拙い発信は、ほかの誰よりも、まずは学校やその他の教育の現場でがんばっている教育関係者に届いてほしいと思うし、それをきっかけに何かしらの実践が生まれればとも願っている。
 改めて、よろしくお願いいたします。

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