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#38「ちゃんとやりなさい」という指導を考える

どうも、こみっくです。

突然ですが、あなたは子どもたちに「ちゃんとやりなさい」と言ったことはありますか?

この「ちゃんとやる」というセリフ。
僕が思うに学校現場で横行していると思っています。

「ほら、宿題ちゃんとやりなさい。」
「掃除をちゃんとやりましょう。」
「あいさつちゃんと出来ていますか?」

教室で、理科室で、運動場で、体育館で…。
様々な場所で教師が「ちゃんとやりなさい」と発しているように思います。

かくいう僕自身も実は言ってしまうことがあります。
なるべく言わないようにしようと意識はしているのですが、ついつい言ってしまいます。
体に染み付いているのでしょう。

そもそも「ちゃんとやる」とは何を表しているのでしょうか。
こちらが意図している「ちゃんとやる」は子どもに正しく伝わっているのでしょうか。

例えば漢字の書き取り。

書く時の姿勢、鉛筆の持ち方、漢字の書き順や意味の調べ方、ノートの使い方…などを伝えてから学習に入ります。

「よし、じゃあ始めましょう。」
と教師が言った後子どもたちが一斉に学習に取り掛かります。

しかし、A君は一向に鉛筆を動かそうとしない。

「ほら、A君。どうした?漢字ちゃんとやりなさい。」
と、声をかける教師。

このような場面、容易に想像ができると思います。

あなたが教師ならA君になんと声をかけますか。
「ちゃんとやりなさい」にはどんな意味が含まれているのでしょうか。

教師が意図する「ちゃんと」という言葉が子どもに正確に伝わっていないのではないかと感じます。

「ちゃんと」と言う代わりに「姿勢を正して」「鉛筆を持って」など子どもが目指すべき具体的な姿を入れるべきです。

「ちゃんと漢字を書きましょう」→「姿勢を正して漢字を書きましょう」
「ちゃんと掃除をしましょう」→「ほうきを両手で持って静かに掃除をしましょう」
「ちゃんとあいさつをしましょう」→「相手の目を見て気持ちのよいあいさつをしましょう。

このような具合でしょうか。

「ちゃんとやりましょう」という言葉。
言うのは簡単なんです。
だからついつい言ってしまいます。

仮に「ちゃんとやりましょう」と言った後、子どもに行動の変容が見られなかった時にどう教師が感じるか。

『なんでちゃんとやらないんだ!』
と感じるのか
『自分の「ちゃんとやる」という言葉に何か落ち度はなかったのか』
と感じるのか

教師ならだれしも「子どもを変えたい、よりよい姿に導いてあげたい」と思うでしょう。
それならまず自分の言葉を変えてみましょう。
子どもが目指すべき具体的な姿を伝えてみましょう。

「ちゃんとやる」という言葉からの脱却をしてみませんか。

大いに自戒を込めて。

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