死ねたらいいのに、燦々
夢の話をします。
両親を殺した継母に育てられた"私"が夜、殺されそうになり家を出る。
追跡を恐れ遠くは遠くへと足を延ばす私は途中で少年と出会い、その一家の車に乗せてもらう。
その大家族の暖かさに巻き込んではいけないと思った私は夜が明けないうちにそこを発つ。
変貌する世界のなかで私は洞窟に続く枯れた池の地へと導かれ、友が"影"の存在になったことを知る。
影とは、人間そっくりなものの、人間と違い適温は摂氏五度ほどであり、それ自体にやや黒いフィルターのようなものがかかって見え、故に影を持たずに滑るように移動する。会話により意思疎通も出来るが怒らせると何をされるかわからないという存在のことであった。
人間しかいない世界という常識を持っていた私は影と人間という相対しながらももつれ合うような存在に自らの知る環境が変遷していることに気付く。
影になった元友人から「思い出せ」という言葉を受け取り、別れた私は焦燥に駆られる。
考えることをひとまずやめ隣駅へと進んだ私は、頼りにしていた駅も水没していることに衝撃を受ける。
膝の上まで満たす緑に淀んだ水の中、悠々と泳ぐかのように運行している列車の群れに不気味さを感じるが、目当ての車両へと足を向ける。
海洋生物に足を取られ溺れかけた私は、間一髪で何者かの手に支えられ浮上する。
平静を取り戻した私はその"人物"の姿を見て失った記憶のことに思い至った。
失った記憶とは何を意味するのか。世界の背景に潜む謎の真相とは。そして"自分"という存在そのものの根幹を揺さぶる人物とは果たして誰なのか。想像を超えるラスト、震撼の120分。
「鏡像のゆめをみる」、10月5日から全国の劇場で放映。嘘です。
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