コミュ障脱太郎

過度な自意識、コンプレックスからくるコミュ障、対人恐怖、あがり症、ED、不安神経症とな…

コミュ障脱太郎

過度な自意識、コンプレックスからくるコミュ障、対人恐怖、あがり症、ED、不安神経症となんとか折り合いをつけて、ちょっとでも楽しく生きる方法を模索している人生。同じ悩みを抱えている人たちと共感できたらいいなあ。

最近の記事

明日自分の会社が破綻することを誰にも言えない

これまで、もうだめです。これ以上続けられませんと何回か宣言して、つい半年前は破綻の手続きを進めてもいたが、その度に支援者やステークホルダーからその場をしのげるギリギリの資金を融通され、がんばれと言われてなんとか続けてきた。 会社経営においてほとんどの人は「がんばれ」「君なら大丈夫」などと言ってくれるが、誰も「もうやめていいよ」とは言ってくれない。 無理筋のビジネスモデルを押し通し、借金まみれで引くに引けなくなっている経営者に引き際を指南してくれるような仕組みがもっとあっても

    • ベンチャー起業からのゾンビ企業化

      ある投資会社のネット記事を見るともなしに見ていると「ゾンビ企業」という言葉が出てきた。もちろん聞いたこともあるし、見りゃあなんとなく意味はわかる言葉だけど、改めて調べてみると「経営が破綻しているにもかかわらず、金融機関や政府機関の支援によって存続している企業・会社のことである。」とある。 なんだうちのことじゃん。改めて言うことでもないけど。 そんなゾンビな会社を存続させる意味ってなんだろうと思うけど、多くの負債があり「やめるにやめれない」というのは当然として、ステークホルダ

      • 貧乏なベンチャーほどたかられる

        自転車操業で破綻寸前の(あるいはすでに破綻している)我社には毎日いろんな企業やステークホルダーたちが金をたかりにやってくる。 まあコンサルタント、人材派遣会社、PR会社なんかはそもそもたかるのが彼らの仕事だし、クソ高い法人税や社会保険に文句を言ってもしょうがない。共同経営者からの未払い報酬の催促も、こんなことに巻き込んでしまっているという後ろめたさと彼らの生活のことを考えるとしょうがない。原資は僕の借金だけど。 厄介なのはステークホルダー的な人たちが善意を装って(あるいは

        • 鬱になれない苦しさもある

          僕は人の意見に流されるままにやってきたベンチャー企業のエセ経営者なんだけど、いい歳をして家族や自分の収入を顧みずにただ会社を生かすために借金を重ね、崖っぷちまで追い詰められるというのはどういう行動原理なんだろう?と我ながら思い、これまでの道のりを振り返り絶望する。 他人(例えば支援者などと呼ばれる人)が僕のような立場の人間に向けてくる期待は、憎しみと紙一重だ。勝手に期待して、自分の思い通りにならないと癇癪を起こして時には訴訟をちらつかせたりもする。 周りの全ての人間が毎日

        明日自分の会社が破綻することを誰にも言えない

          人の意見に流され続けて気づけばベンチャーの経営者なんてことがある

          世の中にはリスクはとりたくない、或いは自分がとれる範囲のリスクをとるくらいで、何かやりたい、退屈な毎日に少々の刺激が欲しいと思っている人たちが一定数いる。 人の意見に流されやすく、というか自分の意見というものを基本的に持たない僕は、そーいう人たちの声に流されて気づけばベンチャー企業の経営者になり、融資や出資でお金を集め、けどろくなサービスも生み出せず債務超過(当然個人保証付き)で普通に崖っぷちに追い詰められている。 最近学生も含め若い起業家がもてはやされ、ベンチャー企業経

          人の意見に流され続けて気づけばベンチャーの経営者なんてことがある

          コミュ障、対人恐怖、あがり症、ED、不安神経症な僕が好きでもない人たちから過度な期待をされる理由

          タイトル通り、僕は過度な自意識とかコンプレックスからくるコミュ障、対人恐怖、あがり症、ED、不安神経症となんとか折り合いをつけて生き延びてきたと自覚している。 でもそんな自覚とは裏腹に、今僕は小さなベンチャー企業の経営者だ。 周りから囃し立てられ、過度な期待をかけられ、金融機関や投資家は僕に少なくない額のお金を投資し、ピッチイベントなんかで登壇させられ、同業者と対談させられ、果てはテレビに引っ張り出され芸能人と対談させられたりもするなんてひどい冗談を通り越して、悪夢としか

          コミュ障、対人恐怖、あがり症、ED、不安神経症な僕が好きでもない人たちから過度な期待をされる理由