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ぼくが育みたい関係性のメモ

こんにちは。
コミュニティフリーランスの長田(@SsfRn)です。

私ごとですが、先日31歳の誕生日を迎えることができました。たくさんのお祝いのメッセージ、本当にありがとうございます。ふだんなかなか「おめでと」と言葉をかけてもらえる機会がないので、とても心がほっこりしました。

30歳の1年は、はじめてパパとして迎えた誕生日で、子育てに合わせたライフスタイルをつくることにヒーヒー言っていた気がしますし、移住という人生初の体験をしてバタバタしていました。自分でも驚くスピードで時間がすぎていったように思います。

そのおかげか、土台みたいなものが生まれている感覚を持っていて、その土台をいかした1年にしていきたいなと思っています。具体的には、移住した鞆の浦にいるからこそできるチャレンジをしたいなと。(この話はまだ今度)


話は変わり、誕生日の日はぼくがコーディネーターをしている「コミュニティのカレッジ」にて、クルミドコーヒーの影山さんをゲストとしてお招きすることができました。

著書「ゆっくり、いそげ」を読んでからずっと話してみたいと思っていた憧れのひとりで、影山さんの哲学はぼくの哲学の一部にさせてもらっているぐらい、たくさんの影響を受けている方です。

そんな影山さんのお話を受けて、ますます自分が大切にしたいことが腹落ちしました。

特に印象的だったのは、「工学的アプローチ」「生命論的アプローチ」に関するお話です。

工学的アプローチというのは、自動車をつくるように設計図と完成イメージが明確で、そこに合わせたアプローチの考え方。

一方、生命論的アプローチというのは、そこにあるもので何かを生み出していくというアプローチの考え方。なので、何がここから生まれるのかわからないんですよね。

ぼくは生命論的アプローチに沿ってコミュニティと向き合ってきたつもりだったのですが、自分の気づかないところで工学的アプローチを取っていた場面があったなと、ハッとさせられたんですよね。

資本主義の今では、ほぼ工学的アプローチで生まれているものが多いので、自覚的になっていないと自然と工学的アプローチに引っ張られてしまう。その典型的パターンに陥っていたように思います。

なぜ、生命論的アプローチを大切にしたいと思うのか?というと、そのアプローチによって生まれる関係性が異なるからです。

工学的アプローチでは、どうしても人を手段化してしまう。設計図に合わせるので仕組みとしてそうなってしまう。そうなると、『Takeの関係性』が生まれます。おたがいに何かを求める関係性です。

一方、生命論的アプローチは、そこにいる人をいかす前提になるので、『Giveの関係性』が育まれやすい。このGiveの関係性こそが、人生において大切にしたい関係性(豊かになる関係性)になると思うんです。

そうなったとき、今後挑戦することは『Giveの関係性』が生まれることを考えていきたいし、そのために『生命論的アプローチ』を意識していきたい。

なんちゃってとかファッション的ではなくて、本当の意味でこれを実現できる何かにチャレンジしていきたいなと思っています。

また、これは仮説なのですが、この関係性を育んでいく際、リアルの場であることが大切な要素な気がしていて。もちろん、オンラインでも可能だとは思うのですが、難易度がぜんぜん違ってくるような印象を持っています。

コロナが進み、リアルの場の価値が問われていますが、この部分にこそリアルの場であることの意味があるかもしれませんね。逆にいうと、Takeの関係性でいいのであれば、オンラインの方が向いているとも取れる。

このあたりは、今後自分の身で実験していきたいと思います。


誕生日に大切な気づきをもらえて、最高な誕生日プレゼントになりました。今日の話に興味ある方は、ぜひ影山さんの「ゆっくり、いそげ」「続・ゆっくり、いそげ」を読んでみてくださいね。

それでは。


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