【第256回】『贖罪 PTA臨時総会』(黒沢清/2012)

 90年代から2000年代半ばまでの黒沢映画においては、ある程度決まった俳優のローテーションがあった。主演が哀川翔なのか?それとも役所広司なのかはともかく、必ず脇役には大杉漣、諏訪太朗、菅田俊、梶原聡、大鷹明良、下元史朗、塩野谷正幸、寺島進、戸田昌宏、清水大敬、でんでんらの顔触れがあった。私はこの人たちを総称して黒沢組と呼んでいる。彼らは必ず重要な役に配置され、黒沢の作る突飛な物語の中で毎回躍動していた。ホラー映画であろうが、ヤクザ映画であろうが、家族モノであろうが、関係なしに物語に深く足を突っ込む、彼らいぶし銀とも言える名脇役の登場を毎回楽しみにしていたのである。

しかしながら黒沢の映画が、いつからかそういう勝手知ったる仲間たちと作り上げる映画ではなくなっていく。その契機になったのはおそらく『叫』ではないかと推測するのである。主人公こそ役所広司だが、彼を助ける薄幸のヒロインに小西真奈美、相棒に伊原剛志、幽霊役に葉月里緒菜、後半、主人公とは違う別のターゲットとして、奥貫薫と野村宏伸の存在がクローズ・アップされる。加瀬亮やオダギリジョーなど、かつての黒沢組の経験者もいるにはいるが、明らかに初顔の俳優陣の方が多かった。続く『トウキョウソナタ』においても、香川照之と役所広司だけが黒沢組経験者だったが、小泉今日子を筆頭に、小柳友、井之脇海、井川遥、津田寛治、アンジャッシュ児嶋一哉など、こちらも初顔の俳優陣を物語の重要なところに配置していた。

このキャスティングの変化がもたらすものが一体何なのかを考えることが、実は『叫』以降の黒沢の作風の成熟と比例しているように思えてならない。『リアル~完全なる首長竜の日~』では中谷美紀、オダギリジョー、松重豊を除く多くのキャストが黒沢組初出演であり、佐藤健、綾瀬はるか、染谷将太は黒沢にとっても未知の演出の領域となったのである。最新作『岸辺の旅』においても、主演の深津絵里はもちろん、小松政夫、村岡希美、首藤康之など演劇畑やバレエ畑のフレッシュな若手や、ベテラン喜劇俳優の起用があまりにも大きな意外性を持つのである。

それと同時に、『LOFT』以降の黒沢映画のカメラマンが、柴主高秀から芦澤明子に変わったことも、黒沢映画の質を巡る特筆すべき事態だったと言えるのではないか。人によっては喜久村徳章や林淳一郎や田村正毅や瓜生敏彦のカメラの方が好みだったなんて人もいるにはいるだろうが、私は何と言っても、柴主高秀と黒沢清が一番の名コンビだったように思う。柴主高秀とは『運命の訪問者』『消えない傷痕』『木霊』『大いなる幻影』『降霊』『アカルイミライ』でコンビを組んでいた。だが『LOFT』以降、ロシアで撮影した『Seventh Code』学生スタッフにより撮影された『ビューティフル・ニュー・ベイエリア・プロジェクト』を除いて、全ての作品を芦澤明子が撮っているのである。

では黒沢清はなぜ、勝手知ったる俳優やカメラマンの起用をやめたのであろうか?私が知る限り、2006年以降のインタビューにおいて、この点に言及している聞き手やインタビュアーを見たことがない。黒沢清の映画の質の変化は、まずもって芦澤明子のカメラワークに負うところが大きい。そして演出面では、初顔の役者を揃えての緊張感のある現場がもたらすものが非常に大きいと考えている。

この『贖罪』がリーマン・ショック以降、長編劇映画の制作から遠ざかってしまった黒沢のリハビリを兼ねた作品であったのは間違いない。だがここで黒沢は果敢にも、女性を主軸に据えた湊かなえの原作小説の魅力を損なわないように、自らの世界観を男性主体から女性主体への解体を試みているのである。90年代の黒沢映画においては、まず主演が哀川翔か役所広司なのかを元に、シナリオは形作られていった。だからこそ『勝手にしやがれ!!』シリーズのヒロインは毎回、適切な人物を選定しながらも、ヒロイン云々ではない哀川翔と前田耕陽のみにスポットライトが当たっていた。それは『復讐』シリーズも同様で、大沢逸美も中川安奈も中村久美も風吹ジュンも観る側にとってはあまり大差がないように見える。

それが今作のキャスティングにおいては、まず娘を殺された母親と、その場に居合わせた4人の少女の現在の姿を念頭に置いて制作された。娘を殺された母親役には小泉今日子がキャスティングされ、4人の少女の現在の姿を演じる女優として、蒼井優、小池栄子、安藤サクラ、池脇千鶴の若手実力派4人が選ばれたのである。これまでの黒沢はどちらかと言えば男性的な物語の中に、ポツポツと女性が点在する作品が多かったのだが、今作では女性演出から逃げることは出来ない。そのことがドラマでありながら、黒沢演出の成熟を促したのは言うまでもない。

優等生でしっかり者と思われていた真紀(小池栄子)は、エミリちゃん事件発生時、恐怖から何も出来ず、事件後15年間無力感を心に抱えていた。小学校教師となった真紀はある日、イジメの現場に遭遇し、その生徒に対し事情を激しく問いただす。PTA役員会で指導方法に対し非難の声が上がるも、同僚の田辺(水橋研二)に擁護され事なきを得る。そんな中、15年前の事件を彷彿とさせる事件が発生。真紀は犯人に立ち向かうが…。

黒沢はおそらく小池の起用を、愛弟子である井口奈己の『犬猫』や盟友である万田邦敏の『接吻』での演技を見て決めたに違いない。人一倍責任感が強く、当時学級委員だった真紀の神経質な姿を小池栄子は正確な演技で応えてみせる。喜怒哀楽を押し殺した小池栄子の演技は、彼女の魅力全開とまでは行かないものの、重厚な味わいがある。相変わらずここでも黒沢の学校に対する眼差しは冷淡である。感情の込もらない教育、生徒に対し愛情の見えない真紀の姿は実に重苦しい。学校という制度にも黒沢の冷淡さは表明されている。生徒の親を過剰に怖がる教職員たち。彼らは常に評価を気にしており、インターネットの掲示板への書き込みを常に気にしている。

真紀の先輩教師を演じた水橋研二も、黒沢の盟友である塩田明彦の傑作である『月光の囁き』で一躍有名になり、『回路』では最初に殺される麻生久美子の同僚の田口を演じていた俳優である。ここでの男優の起用はどちらかと言えば、ヒロインの演技に寄り添う形で設定されたように思う。『勝手にしやがれ!!』シリーズの頃とは男女が逆転した印象を与えるのである。彼は子供達と積極的にコミュニケーションを取るような教師の見本として存在する。おそらく彼は真紀に好意を持っており、当初は生徒とPTAと教師連中の板挟みになる真紀を積極的に庇おうとするのである。

しかし彼と真紀との人間性や生徒のイメージの対比が、ある事件をきっかけに逆転現象を引き起こす。今作は学校ということで、通常であれば水辺は出て来ることはないのだが、ここでもやはり水辺にアクションの起爆装置がある。水橋研二の突然の豹変ぶりはあまりにも唐突に見えるものの、四辺に縁取られたあの場所の反対側から撮影された見事なフレームワークに酔いしれる。PTSDになった真紀の剣道の場面も実に異様で怖い。

最初に出て来た学校側とPTA側の対話の構図は、新作『岸辺の旅』における3つ目の訪問の際の、浅野忠信の宇宙の講話の構図とほぼ同じである。だがクライマックスの大人数の構図とカット割りはまったく違う様相を呈している。足早に体育館を通り過ぎる真紀を、小泉今日子扮する母親は呆然とした面持ちで見つめている。

ラスト・シーンには黒沢のワンカットの暴力がふいに挿入される。ふと振り返ると、これまでの黒沢映画に拳による暴力なんてあっただろうか?拳銃や追いかけっこはよく見かけるが、拳の暴力なんて『運命の訪問者』以来ではないだろうか?あの時は哀川翔が馬乗りで六平直政を何度も殴ったが、今作ではたった一発の暴力で雌雄を決することになるのである。今作の鉄拳制裁が後に『ビューティフル・ニュー・ベイエリア・プロジェクト』へと発展していくのも興味深い。

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