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消費者の顔と市民の顔、2人のわたし

「でもさ、地球のことを大切に思っているからって、いつもその理念に合った行動できるわけじゃないのよね。エシカルでナチュラルなものって総じて高かったり手間だったり。理想と現実はあるよ。」

森林の未来まで想いを馳せ、安かろうの家具ではなく修繕しながらずっと愛され続ける家具を誇りを持って作っている職人さんの話を聞いて、こういう哲学に触れられる機会をつくりたい、消費者としてだけでなく、市民として家具を買う眼差しができたらいいなあ、と熱のこもった妄想を広げていた。そんな私たちに対して、ちょっと待って?と東川町で知り合った方が、問いを投げかけてくれました。

現実のはなし。

現にわたしがいま、座ってるソファも、横にある本棚も、安さ重視で大型家具店で買ったもの。スーパーでチョコを買うときフェアトレードを手に取るものの500円かあ…と棚に戻す。自然派志向の先輩の料理ログSNSは眩しく、手間をかけられてすごいなあとスクロール。

知らないわけでも興味がないわけでもない。関心は高い方。でもそれと日々の行動を一貫させることって難しい。はてさて東川町の人たちに聞いたり、刺激を受けたりして、私に変化が起こったことって、何かあったっけな。

そういえば、ひとつだけあったぞ。

紙おしぼり事件

年末、新田夫妻と東川町のカフェにランチに行ったときのこと。
(新田夫妻は私たちと東川町を繋いでくれた養鶏家で持続可能な食と暮らしをしなやかに日々の生活で実現されてる方です)


ランチセットを頼んで待ってるあいだ、なにもしない時間が苦手なわたしは、いつも通り特に意味もなく、水が入ったグラスについた水滴を指先でなぞって、いつも通り特に意味もなく、手元の紙おしぼりのプラ包装をピリッと破いた。

その横で、新田夫妻は紙おしぼりをカトラリー入れに戻していた。

(なるほど・・・!!)

(無意識だった・・・・!!!)

(おしゃれ・・・・・・・!!!!!)

(わたしもやる・・・・・・・・・!!!!!!!)

状況を細かく説明するほどとてもアホっぽさMAXですが、小さなことひとつひとつも選択していることに感動が走りました。おしゃれ!とびびびと衝撃が走りました(これ意外と大事な気がしている)。それ以降、レストランで「私はいまおしぼりを使うべきか使わぬべきか」という問いが立つようになりました。(そしてほぼ使わなくなった)

新田夫婦の考えを聞いたり、知らなかった食と世界の仕組みを聞いて、自炊の割合が増えたり、卵を買うときは高くても信頼できそうなものを買ってみることも増えたのですが、消費者の私は「楽したいよー、安く済ませたいよー」と思ったりもするので、毎日毎回実行できるわけではなく。

意外にも、この紙おしぼり事件が、暮らしや選択のいちばんの変化だったかもしれません。

"消費者の私"と"市民の私"の葛藤と共生

市民すぎても消費者の私が泣き、
消費者すぎると市民の私が腐っていく。

この2人って共生できないんだろか?
理想と現実って言葉の裏にあるのは?
これがココ最近の葛藤と問いです。
課題図書としてここら辺の記事と、それぞれのエピソードをつまみに持ち寄って、おはなししたいなあと妄想中です。

その1)これこそが民主主義だなあと勇気が出てきた話

その2)消費者として成熟させられている国ニッポン、な話



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