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「あなたには才能がある」 嫌われ者の言葉に救われたあの日

時々どうしようもなく居た堪れない瞬間が訪れる。身体の輪郭がぼやけて溶けて、横たわる寝具に溶けてしまいそうな、所在のあやふやさに見舞われる。

こういう感情を覚えたのは、小学校高学年の頃からだろう。他人の悪意を、悪意だと認識できるようになってから。

自分がぼやけてしまいそうな時――往々にして言葉に殺されそうになった時ではあるが、言葉に救われてきたこともまた事実だ。 

いつかの国語の授業。産休代替でやってきた先生はとても厳しくて、クラスメートからは一発で嫌われていた。

私は真面目だったので(自称するのもどうかと思うが授業は教師と生徒双方で作り上げるものだと信じていた)この学校においては少し要求が高い先生だなと思いながらも、真面目に授業を受けていた。

ある日の授業が風変わりな内容だった。課題は創作文を書くというもの。先生を嫌いな人たちは鼻で笑っていたけれど、私はちょっとワクワクしていた。

私が通っていたのは、お世辞にもお勉強ができる学校ではなかったと思う。特色あるカリキュラムに、優しい先生たち。一方で、声の大きな人たちが、自分たちだけで、青春を謳歌しようともしていた。時に邪魔者を追いやって。

そこに歯向かう人に居場所などあるわけがなかったけれど、どうしても許せなかった。何を言われても、何をされても涼しい顔をしていたけれど、本当は学校に行くのが苦しくて、廊下一つ歩くのもしんどくて、教室に入る足がすくんだ。体中、緊張の糸が張り巡らされていた。

自分の心を表現するのが憚られるこのクラスで、自分の足場を守るのに必死で胃を痛くしながら通っているこの学校で、少しでも思っていることを文章にできるのはある種の救いのように思えた。本心を表現することにとても飢えていた。

創作文はテーマ選びも自由だった。何を書こうか必死に考えて、大好きだった先輩たちが卒業してしまった喪失感を春休みのがらんどうな薄暗い廊下として、対照的な窓の外の麗らかな陽気を新しい出会いの訪れとして描写してみた。

言葉一つ一つを一生懸命吟味した。最大限言葉を尽くした。課題を提出すると、先生がクラス全員分の文章をプリントにして配ってくれた。この人の作品が一番心に残った、というものの感想を書いて提出した。

再び配られたクラスメートの感想を読んでみると、当時親友"だった"子の抽象的な文章にたくさんのコメントが寄せられていた。

「すごい!」「不思議」「かっこいい」「○○っぽい!」「おしゃれ」。色と単語が羅列された文章で、私には彼女が何を思っているのか汲み取れなかった。けれど。

人気者の彼女にはたくさんの賞賛が寄せられた。私も、空気を読んで彼女を称えたかもしれない。結局のところ何を書くかではなく、誰が書くのかで人は価値判断するんだな。誰かに褒められるために書いたわけではなかったけれど、その時感じた落胆は未だに生々しい。

手書きで書いた創作文は、書いては消してを繰り返して用紙が少し傷んでいたように思う。自分の思いと、それも弱い心と本気で向き合ったのがちょっとバカらしくなった。

先生は一人ひとり名前を呼んで、提出した創作文を教室の前に取りにこさせた。しばらくすると呼ばれた。恥ずかしくてサッと席に戻ろうとした私を先生が呼び止めた。

「素晴らしかった。あなたは文章の才能がある」。あなたの情景描写はその光景がありありと浮かんでくる、と。

息が止まるかと思った。自分の本当の思いを形にしたって伝わらない。捻くれた考えがさらにこじれそうだった時、まっすぐにこちらを見据えてハッキリと伝えられた言葉にどう振る舞っていいか分からなくなった。

あまりに突拍子がなくて、ヘラヘラとはぐらかして席に着いたけれど、 心臓は飛び跳ねていた。尽くした言葉が、込めた思いが誰かに伝わった。文章の才能が、あるって…そんなわけないのに…。

捨ててしまおうとすら思った課題には、赤色のボールペンで先生のコメントが添えられていた。寂しい、不安だと書かなかった文章から気持ちを汲み取ってもらえた。大事に大事に持ち帰ってファイルに保管した。

この時のやりとりなんかすっかり忘れて大人になった。文字を認める仕事を目指すことになった最近、なぜか記憶の隙間からポロッとこぼれ落ちてきた。

しばらく読んでいなかった本から、親しみのあるお気に入りのしおりが出てきたような暖かさ。私には文章の才能なんてない。課題の創作文もお粗末なものだったと思う。けれど、あの時のあの言葉に今でも確かに救われている。

よし、お風呂入ろう。鉛のように重かった心と体をのそりと起き上がらせて、静まり返った浴室に向かった。

(2020/5/9 2:20)


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