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【#現代4コマ】「4コマ印象派」へと込めた反逆心/作品解説 1/24更新

【ご連絡②】
 1/16に続編となる記事を投稿しました。9作品目以降はこちらで解説して参ります。

また、4コマ印象派関連の記事はこちらのマガジンにまとめていきます。あわせてご確認いただけますと幸いです。

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【ご連絡①】
 1月14日、「4コマ印象派の作品解説」に「印象・粗製濫造」を追加しました。ひととおり目を通していただいている方は目次より追加記事にアクセスください。
 また本記事の文章量が多くなりすぎたため、上記作品の解説をもってこちらの更新を停止し、次回作以降は別の記事にまとめることにします。詳細は後日追記します。

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※現代4コマwikiに書いてもよかったのだけど、かなーり私事が混ざるのでnoteに記載するという形を取ることにする。あと長い。

 これはシンプルでわかりやすい作品だけではなく、ややこしいものを作ってみたいというトウソクジンの私論が多大に含まれた記事である。「4コマ印象派」としての私の作品一覧は目次「4コマ印象派の作品解説」を参照いただきたい。新作ができ次第この記事にまとめていくつもりのため、たまにその項目だけでも見に来ていただけると嬉しい。


現代4コマについて

 「現代4コマ」という芸術のムーブメントがある。これはいととと氏(@itototo1010, X)が「漫画の形式に囚われない4コマ」というコンセプトで始めたとても面白い現代アートだ。qpdb氏の記事に目を通していただけると、どんな作品があるのかだいたいの雰囲気がわかると思う。氏の記事では「最初のうちは少し尖った4コマ漫画くらいの認識に留めておいても良いかもしれません。」と書かれているが私も同意見だ。

4コマ漫画を紹介するメディア「4コママンガのススメ」様が、現代4コマを細部まで分析して下さった記事もある。よろしければこちらもぜひ。

そして現代4コマwiki。これは現代4コマというジャンルに興味を持っていただけた折にゆっくり読んでいただくのがよいかと思う。

シンプルな作品が多い(気がする)

 さて、この現代4コマだがシンプル・ミニマル志向の作品が多い気がする。そもそも「コマ」に着目するところからスタートしている概念なのだから、それを過度に装飾しないアートが現れるのは当然の帰結かもしれない。私はコマ間に着目した作品が好きだ。2024年1月現在においてなむさん氏の「心電図」は記憶に新しいが、私が知る限りうりよしきば氏、城ぶどう氏、てまき氏が似たようなアプローチで印象的な作品を製作されている。

どれも美しい……。「心電図」はコマ間を心電図のグラフに見立てるという革新的な発想により、こちらの感情がざわつかせられる作品。「YouTubeの4コマ」はコマの間隔が違う2つの4コマを対比させることで、広告の有無をうまく表現している。城ぶどう氏の3作は「コマ割り」が見事。ただの4コマと侮るなかれ、コマの割り方を工夫することで作品を生み出せるのだ。てまき氏の作品はおいしそうだ。そう解釈するか~。
 ここで紹介した他にもたくさん作品があるため、お時間があるときにぜひご覧いただきたい。
【X "#現代4コマ" 検索結果へ】

ごちゃごちゃした作品もあり?

 本題に入ろう。シンプルな作品は素敵なのだけど、いざ自分で作ろうとするとこれがなかなか難しい。作っているうちにいろいろと盛り込みたくなってくるのだ。それなら最初からごちゃごちゃした作品を発表しても良いのではないか? だから私は、過去に「定型詩4コマ(wiki)」という定型詩と4コマを視覚的に重ね合わせる手法を生み出した。詩を作るのと同時にそこへ4コマを組みこまなければならない。自分で言うのも何だが結構高度な試みだと思っている。

定型詩4コマは現代4コマの表現手法の中では比較的ごちゃごちゃしている方だと思う。ただしこちらの制作については、新作を出したいけどココア共和国の投稿詩へリソースを割いているためなかなかできない……。

4コマ印象派について

 ここで現れたのが「4コマ印象派」という概念だ。とある日、トランプ/んぷとら氏に拙作の「曖昧模糊」が4コマではないのではないか? という指摘を受けた。

曖昧模糊

→【作品リンク

穴が空いていて枠の体をなしていないコマがあるため、4コマとは認められないのではないか?

んぷとら氏、Xのポストより引用

「枠の体をなしてなければコマとは認められないのではないか」、まあごもっともだ。ひとつでもコマ枠に途切れがあると一気に4コマの実存性は失われるだろう。この意見に対する私の反論が、4コマ印象派誕生の端緒を開くこととなる。

これは印象派4コマであり、4コマを視た印象が描かれている。枠が途切れているように見えるのは光の揺らぎに起因するものだろう。あるときの4コマの移ろうその瞬間を描画した結果、揺らぎを捉えたのだ。つまり視覚的にはそう見えなくても、対象物として4コマは確かに存在している。

トウソクジン、Xのポストより引用

ようは「4コマに見えなくてもそれを描いた対象として4コマは存在する。その場になくても印象の奥に4コマはある。」というそこそこの暴論だ。この反論が「4コマの印象を描く、あるいは4コマの印象を受ければそれは4コマである」という主張に転じ、これを掲げた4コマ印象派が生まれた。そしてぼやぼやした4コマっぽい絵を描き「印象・○○」と題して投稿するようになった。これらの作品に対して賞賛の声をいただいたことはあるものの(本当にありがとうございます)全体的に反応が薄いのは否めない。しかしその状況を逆手にとって好き勝手に暴れている節はある。
 そもそも本来の印象派とは官展(サロン)に出品させてもらえなかった、当時において前衛的な絵画を描く人々、つまり「はみ出し者」であった。私はそんなはみ出し者のようなポジションに憧れがあるのかもしれない。ごちゃごちゃしたものを作ってやろうというちょっとした反逆心と、絵を描きたい欲求が私を4コマ印象派へと向かわせる原動力となっている。

さいごに

 4コマ印象派の方針は、「純粋4コマ主義」のような突き詰めたコンセプチュアル・アートすらも存在する現代4コマにおいて、絵を描くという意味では原義とは道を違えているかもしれない。また「これは4コマであるか?」という問いかけが常に含まれている。これは現代4コマの本質であり、過去に幾度も議論を巻き起こした先例がある。4コマ印象派もこれらに続き、「4コマの性質が適用される範囲」に一石を投じ続けたい。……という体で遊ばせていただくことにする。私ははみ出し者、現代4コマ界の「印象派」になりたいのだと思う。今はあまり注目度の高くない活動だが、いつか「すごい試みだった」と誰かに思ってもらえるといいなという願いを書き残し、いったん解説を終えることとする。
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 余談だが、「#現代4コマ」が添えられた最初の作品、いととと氏の「Is this 4 frames?」も鑑賞者に「4コマとは何か?」を問いかけてくるものだった。ただし今日において現代4コマの作品とされるものは、これより以前からいくつか存在することはご留意いただきたい。

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 またまた余談だが、「コマ4印象派」とも呼ぶべき作品がある。ぷらりね氏の「漕ぎ手」だ。
 まず「コマ4表現(wiki)」とは、視力氏が提唱した「『コマ』で『4』を表す『4コマ』とは異なり、『4』で『コマ』を表す試み(現代4コマwikiより引用)」だ。「4」と「コマ」の関係性を反対にしてしまうという画期的な表現方法なのだが、正直かなり高度な文脈だと思う。とりあえずここでは「4」という数字が画面上に入っていればコマ4表現の現代4コマ作品と言い張れる言える、くらいの認識で良い。
 これを踏まえてぷらりね氏の作品を観てみよう。船、オール、漕ぎ手が「4」を構成しているためこれはコマ4表現だ。そして印象派絵画のような情緒あふれる色彩がとても美しく、時間の移ろいと奥行きを感じさせる。

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1/4投稿後の追記
 いろいろな方の名前を挙げたのに感謝の言葉を記すのを失念してしまっていた。

 現代4コマの創始者いととと氏、4コマ印象派提唱のきっかけとなる議論を生んでくださったんぷとら氏をはじめ現代4コマ作家の皆様、そしてこの記事を読んでくださった全ての方々に御礼申し上げます。
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 次の項目は、私が制作した4コマ印象派作品に対して個別に解説を添えたものである。

4コマ印象派の作品解説

 私が4コマ印象派として制作した作品のアーカイブと解説。

○《習作》印象・日の出と4コマ

《習作》印象・日の出と4コマ

→【作品リンク
 「4コマ印象派」として初めて世に出した作品。クロード・モネの名画「印象・日の出」の習作と題し、その中に4コマを描き足した。「印象派絵画の印象」と「4コマの印象」が儚く交じり合い、明確な輪郭を失ったそれはもはや抽象画のようだ。また風景の中に4コマが超然と佇むその姿はシュルレアリスム的でもある。
 4コマの輪郭は背景と同化しつつあり、今にも消えてしまいそうに見える。現代4コマにおいては「4コマを形成する枠線の一部に欠けがある場合、それがコマと認められないのではないか(現代4コマwikiより引用)」という「4コマ無欠仮説(wiki)」なるものがあり、この作品はその主張からは外れているだろう。果たしてこれは4コマだろうか?……仮説に則って考えれば、これから解説する4コマ印象派作品たちのほとんどが4コマではない

○印象・露出狂のうへへへ

印象・露出狂のうへへへ

→【作品リンク
 これを理解するには、いととと氏の「露出狂」および「うへへへ」という2作品を知らなければならない。

 前者は一見すると4コマには不足があるが、何かしらの表現を以て残りのコマの存在を示唆することで補完させる「補完4コマ(wiki)」と呼ばれる手法が用いられている。タイトルの通りこれは「露出狂」の4コマ、暗闇の中で3コマ目だけを露出させているのだろう。「いとととの現代4コマ展」でも展示された名作だ。

 後者は3コマ目にモザイクが加えられている、明らかに不審な4コマ。引用でキュビスムの到達点とか言われていた。さすがにそれはないんじゃ……?

 「印象・露出狂のうへへへ」は、上記の2作品の印象を掛け合わせ、抽象表現主義絵画のように仕立て上げたものだ。もはやタイトルと画が結びつかず、もとの文脈が失われるレベルに抽象化されてしまっている。果たしてこれは4コマだろうか?

○《分析的キュビスム》印象・4コマ

《分析的キュビスム》印象・4コマ

→【作品リンク
 国立西洋美術館で開催されていた「キュビスム展」へと赴き、その展示品たちにいたく感銘を受け勢いで制作した作品。パブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックによってキュビスムが実験されていた頃の「分析的キュビスム(1909-1911) 」という表現方法を参考に4コマの印象を描き出した。特にブラックの「ヴァイオリンのある静物(1911) 」が気に入っているため画風がその作品寄りになっている。モデルが「4コマ」という具象性の低そうなものなのに、キュビスムの要素を取り入れてしまったためこれまた抽象的な図案だ。線が強くて黒っぽいところがコマに見えなくもない。果たしてこれは4コマだろうか? ただし、ピカソがキュビスムの抽象化を否定していたことを忘れてはいけない。キュビスムの作品自体は具象画なのである。
 ちなみに現代4コマの周辺概念として「カクカク芸術運動」と呼ばれるものがある。これはいととと氏によって現代に再定義されたキュビスムのことだ。
→【X “#カクカク芸術運動" 検索結果へ

参考文献:「キュビスム展 図録」, 国立西洋美術館ら監修, 日本経済新聞社(2023), p.62-63

○《オルフィスム・同時主義》印象・パフェを食べる体験の近代4コマ

《オルフィスム・同時主義》
印象・パフェを食べる体験の近代4コマ

→【作品リンク
 タイトルからして長い。そもそもなぜパフェか? これは視力氏が創始した「パフェズム(パフェ=4コマ説, wiki)」というアートがあり、それに触発されたためだ。パフェズムは現代4コマの派生概念として認識されている。こちらも面白いのでぜひ観ていただきたい。
【X "#パフェズム" 検索結果へ】

 次に「オルフィスム」と「同時主義」について。これらもキュビスム展で知り、とても気に入った芸術運動である。説明が非常にやっかいなため辞典から引用する。

オルフィスムは
「キュビスムがフォルムの追求のために色彩を犠牲にしたのに対して,色彩自体をフォルムとして追求し,色彩の同時的な展開によるリズミカルな画面構成を試みた」

コトバンク - 百科事典マイペディアより引用

シミュルタネイスム(同時主義)は 
「時間と空間の相互連関的な変化相を、同一画面に同時に表現しようとした美術上の主義」

コトバンク - デジタル大辞泉より引用

どちらも色彩豊かで、特に後者は抽象的な図案が特徴だ。「印象・パフェを食べる体験の近代4コマ」では、「パフェを食べ進める行為」は時間経過を伴い4段階で変化すると見做し、一画面の中でそれらを表現する試みを実践している。スプーンで上からパフェを食べ、最後にはグラスが空になっているのが分かるだろうか。そもそもオルフィスムとはオルフィック(詩的)なキュビスムという意味で、詩人のギョーム・アポリネールによって命名されたものだ。オルフィスムと同時主義に貢献したドローネー夫妻らには遠く及ばないが、抽象的かつ鮮やかに、そして詩的に「パフェを食べる体験」における時間と空間の変化を再現した……つもり。
 最後に「近代4コマ(wiki)」。これは4コマ漫画の技法を取り入れつつも挑戦的な表現をした作品のことで、現代4コマのコンセプトから外れる例外のひとつだと思っている。先述した時間経過要素が4コマ漫画的であるため近代4コマとした。
 さて、長すぎて忘れそうだった。果たしてこれは4コマだろうか?

参考文献:「キュビスム展 図録」, 国立西洋美術館ら監修, 日本経済新聞社(2023), p.108-110

○印象・4コマ子

印象・4コマ子

→【作品リンク
 こちらは4コマ印象派の作品としては特異だ。人生氏が考案したキャラクター、「4コマ子(wiki)」が可愛かったので衝動的に描いた。

そのためあまり問いかけの要素は考えられていないし、抽象的で分かりにくい図案でもない。4コマ子は4コマです。モチーフは「《習作》印象・日の出と4コマ」の4コマ部分のカラーリングだ。もととなった絵の「(印象・)日の出」というタイトルに反し日の入りっぽい雰囲気になった。……4コマ印象派のことはいいからとりあえず4コマ子ちゃんを見よう。
【X "#4コマ子" 検索結果へ】

○印象・純粋4コマ主義Ⅰ

印象・純粋4コマ主義Ⅰ

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 めっちゃ抽象画。これもオルフィスムの影響を少し受けている。「純粋4コマ主義(wiki)」とは「4コマの枠内に何も描かれていない純粋な空間だけを見せることで、視覚的な空間の演出を極限まで追求する運動(現代4コマwikiより引用)」だ。本来は何の変哲もない4コマをただただ見せられるだけである。しかしその空間から意味を見出したという体で題名を与えることで様々な文脈を付与することができるため、現代4コマ界の便利屋のような立ち位置にあると思っている。「印象・純粋4コマ主義Ⅰ」では、あらゆる文脈を与えることができる特性を何色にでも染まれる純粋さであると言い換え、カラフルかつ抽象的な印象として画面に構成した。「Ⅰ」とついているのはお察しの通り、同じ題でいくつか製作する予定があるからである。
 なお「カテゴライズ(wiki)」という画面内の要素が4種類あれば4コマと見做す表現方法はあるが、色は明らかにそれより多く、図形も幾何学模様が入り組んでおり4要素を見出すのは難しいためこれには当てはまらない。果たしてこれは4コマだろうか? そもそもこれを純粋4コマ主義と言い張って良いものか?

○印象・じゃなかった

1月6日 追加

印象・じゃなかった

→【作品リンク
 現代4コマにおいて作家たちもよくわかっていないであろう呪物かなり高度な文脈を有している部類であろう、いととと氏の代表作「マイケル・ジャクソンじゃなかった(wiki)」だ。

これが何かと訊かれても返答に窮する。現在議論はほぼ放棄され、ネタになっていると言っても差し支えないだろう。よくある指摘がマイケル・ジャクソンなら「アゥ!!」より「ポゥ!!」だろ、というものである。「合いますね プリンに醤油」へと繋げるためにちょっとこじつけている感が否めない。それにこれを4コマでやる必要があるのかも甚だ疑問であり、謎は尽きない。ただなんだかおもしろいため、一時期現代4コマ作家たちがこの作品のオマージュ生産機になったことがあった。その作品群を視力氏がTogetterにまとめてくださっている。オマージュの主となるアプローチは「アゥ!!」の形を残し、他の記述を続けるものだった。「マイケル・ジャクソンじゃなかった」シリーズといえば「アゥ!!」なのだ。私はこれを「アゥ!! の一人歩き現象」とでも呼ぶことにする。
 「印象・じゃなかった」はこの一人歩き現象を如実に表現している。「アゥ!!」の印象が強すぎて「合いますね~」と最重要な4コマ要素が置いてけぼりになり、勝手に霞んでしまった。ついでに画像中のタイトルのうち「マイケル・ジャクソン」もピンピンしている。「じゃなかった」と否定が入っているのに「アゥ!!」とマイケルは一心同体で離れない。これは「アゥ!! とマイケルの二人三脚物語」と呼んだ方がいいかもしれない。そしてなぜこのタイトルになったかというと、原題をそのまま流用すれば「印象・マイケル・ジャクソンじゃなかった」となり、中黒が2つ入ってしまい気持ちが悪いからだ。フォントが原作準拠じゃないのは許して。
 果たしてこれは4コマだろうか? いや、「マイケル・ジャクソンじゃなかった」って何だと思います?

○印象・粗製濫造

1月14日追加

印象・粗製濫造

→【作品リンク
 私が考案した「ざく切り4コマ(wiki)」という表現方法がある。簡単に言えば文字列あるいは文字を3つの"/(スラッシュ)"をもって4要素に分割し、4コマと見做すというものだ。「ざく切り4コマ」はその敷居の低さ、そして解釈を容易に変えることができる拡張性の高さから短期間のうちに流行、発展しそして廃れた。皆様がざく切りの使い方を研究してくださり、面白い作品も多いのでご興味があればそれらを見ていただきたい。
→【X "#ざく切り4コマ" 検索結果へ
 そしてここで主題となった作品、「粗製濫造」をご覧いただこう。

「粗製、シ、監、造」の4要素に分割して4コマだ。文字列から簡単に現代4コマを生成できてしまう、これがざく切り4コマの強みであり節操のなさが顕れてもいる。
 「印象・粗製濫造」はざく切り4コマの大量生産主義に則した一面をその印象として再現した。2024年1月現在においては主流な表現方法とは言えないものの、「時短派(時短主義、wiki)」や「4コマ量産主義(wiki)」と定義された現代4コマの動向に通じるところがあるだろう。「粗製/シ/監/造」の文字列は幾度も複製され、ところどころでその原形を留めていない。また図案を4分割するように///が画面を切り裂いている。ここにはざく切り4コマ成立以前より存在した表現方法、「強制4分割(wiki)」の要素を取り入れた。
 ざく切り4コマに起こった発展と衰退の裏には「コンテンツの安易な拡大はそれ自体の寿命を短くすることに繋がる」というメッセージが隠れているのかもしれない。果たしてこれは4コマだろうか?
 
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2024年1月14日現在はここまで、計8作品。
そして冒頭でお伝えしたとおり、これをもって本記事の更新を停止いたします。ここまでおつきあいいただき誠にありがとうございました。


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