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娘の言葉で自分が大切にしていることに気づいた話

「ママ、それはアーティストとして尊重されてないよ。失礼だよ!」

娘に言われて、はっとした。「あの状況では仕方なかったよなぁ…」と、周りの状態を考えるあまり、自分の心に蓋をしていることに気付いたのだ。そうか、「私はアーティストとして尊重されていなかったのが、とても悔しかったのだ。」悔しくて腹が立って傷付いていた。そして娘の言葉でその場で感じていた違和感をはっきり言葉にすることができた。

「私自身だけじゃない、あの場には尊重されていない立場が他にもあった(気がする)」

その違和感を覚えていたのに、自分自身がそこに対して行動できなかったことが悔しかった。今回は傷付いたのが私だったから良かったけど、他の人が同じ扱いをされたら耐えられない。。。そんな状況を生み出さないためのフォローを、ちゃんとできていなかったな。と、悔しい気持ちが湧き上がってきた。

全体としては楽しい一日で、娘と対話してなかったらこの悔しい想いにも気付けなかった。何に違和感を覚えているのか?モヤモヤしたままだった。ちゃんと傷付いている自分をたくさん泣かせてあげて、ヨシヨシして、娘に抱きしめてもらって復活した。そして、自分が大切にしていることにも気づくことができた。

「自分が関わる以上、その場を創り上げる全ての方に敬意を払って尊重する」

これは場づくりにおいて、私が一番大切にしていることみたいだ。例え、私が創り上げた場でなくても!だ。自分の置かれた立場で、それぞれの役割の方々に敬意を払って場に挑む。“場”は生き物である。だから、もちろん配慮が足りないとか、上手にできないとか、色々起きる。常に失敗ばかりだ。でも、物理的には失敗ばかりでも、自分の内側で「“場”全体に敬意を払って尊重する」ことだけは忘れたくない。

でもさ、オーバーワークすると、人間、敬意なんて簡単に忘れちゃうんだよ…苦笑 今回は、完全に私のオーバーワークだった。目の前の人、目の前の仕事に集中するあまり、いつもより全体が見えなくなっていた。全体を見る役割は私の仕事じゃなかったから、うっかり気が抜けていたのだ。つまり、どこかで他人事だった自分がいたのだ。これが良くない。自分事で挑まないとさ、やっぱりやり切れないんだよね。。。

全体を見る役割じゃない時ほど、その役割を持っている人がこぼしているものを拾うことができる。そのはずなのに、私は拾いきれなかったのだよ!!あー、悔しい。悔しい。悔しい。くやしいー!!仕事で悔しくて泣いたのは久しぶりだ。でもまぁ、泣き続けても意味がないので、後からできる最大限のフォローをして、こんな失敗、二度としてなるものかと自分に誓いを立てた。

オーバーワークは良くないね。今の私は一人三役くらいまでが限界っぽいから、それ以上は誰かに助けてもらおっと♪本当は二役くらいにしておいたらいいのかな笑 過去の経験上、四役やると余白がなくなる。その場は四役どうにかやり切るけど、もう二度やりたくない!!って思うか、やりきれなくて悔しい思いするか、そのどちらかなのだ。余白大事である。

そんなこんなで、たくさん泣いて、泣いて泣いて、泣き崩れては、また泣いて、泣き尽くした。けど、泣き腫らしたら、心が晴れた◎あまりにすっきりしたので、この手法を“必殺!泣き晴らし!!”と名付けよう♪やばい、新しい小夏技を編み出してしまった笑

そんなこんなで、がっつり泣き晴らした後、私は気付いたのだ。自分が、とても場づくりを大切にしている!!と、言うことに。マジで自分の未熟さが悔しくて、悔し過ぎて、3日間も泣き続けるほど、場作りが好きらしいよ、私…驚

そういえば、高校生の頃に国際交流キャンプのボランティアスタッフをやって以来、ずっと場を作り続けているもんなぁ。その後も会社員時代は接客販売業に従事していて毎日が場作り、みたいな日々を送っていた。個人事業主になってからもワークショップなどのイベント開催もたくさんしてきた。絵を描いていた時間より、場を創っている時間の方が長い。

「絵を描くことで生み出す場作り」に今の私はどうやら、全力を賭けているみたいだ。というか場作りそのものが私にとっては大切な作品なのだ。ここまでの情熱を持っていたのか…!と、自分でもびっくりしてしまった。そりゃ、毎日やったら死んじゃうわけだ。たまにはプシューっと休まないとね。やっぱり余白大事である◎


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