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アルテュール・ブラント「ヒトラーの馬を奪還せよ 」

※ネタばれあり

シンボル

──1806年。プロイセンをあっという間に倒したナポレオンは、ベルリンのブランデンブルク門をくぐって凱旋。門の上の勝利の女神像を略奪する。
この時のナポレオンとフランスのむごい仕打ちへの恨みは、プロイセン国民に「民族意識」を目覚めさせた。小国の寄せ集めであるという現在の状況を改め、ひとつの国家として統一せねば!という「ドイツ魂」が目覚めたのだ。
「たくましく、禁欲的な、調和のとれたギリシャ彫刻的男性像」こそがドイツ民族の理想的な普遍のシンボルとされ、その下での団結が求められた。

それからおよそ130年後、その「ギリシャ彫刻的な」シンボルをプロパガンダとして最大限に利用した勢力こそが、ナチス・ドイツであり、ナチのプロパガンダに最も貢献した芸術家が、彫刻家アルノ・ブレーカーだ。
 
総統官邸の入り口には、ブレーカーの作品「党(パルタイ)」「国防軍(ヴェーアマハト)」という二体のたくましい男性裸像が立っていた。総統官邸の裏、庭園に通じる階段の上の両端には、同じくプロパガンダに貢献した彫刻家ヨーゼフ・トーラックの巨大なブロンズの馬の像「シュライテンデ・プファルデ(闊歩する馬)」が立っていた。

これらの作品はベルリン攻防戦の時に、ソ連軍の砲撃により破壊されたと思われていた。

しかし、戦後から70年ほど経った2014年のある日、トーラックの馬の像が闇市場で売られているという情報が出てきた。
果たして、トーラックの馬は本物なのか?偽物なのか?本物ならば70年間どこに隠されていたのか?

その謎を解くため、オランダ人美術探偵アルテュール・ブラントの冒険が始まる!

……という、戦争、歴史、ミステリー、冒険などといったものすごくわくわくする要素が凝縮されていて、ページを捲る手が止まらなくなったのだが、とりあえず結論から言うと、ブラント君の調査により、トーラックの馬やブレーカーの男性裸像、そしてさらに第二次大戦時の戦車や魚雷やミサイルなどが発見された。それらは全て本物であった。

ブラント君が、失われていたそれらの彫刻や武器を探す過程で接触する人物たちは、まるで映画や小説の登場人物のようだった。

その中から、私が気になった出来事や人物について書いていきたいと思う。

シュティッレ・ヒルフェ

「戦後70年間行方不明だったトーラックの馬の像」を違法に所有し、闇市場でこっそり売りたがっている人物とはいったい誰なのか。
どうやら、馬の所有者の親族には、ニュルンベルク裁判で有罪判決を受けた者もいるらしい…ということが怪しい美術商から伝えられたが、その他の情報はベールに包まれたままだ。

そこで、ブラント君の頭に浮かんだのは「シュティッレ・ヒルフェ(静かなる助力)」という組織である。

「シュティッレ・ヒルフェ」は、ヒムラーの娘であるグドルン・ブルヴィッツが中心となり、逮捕されたり逃亡したりしている元親衛隊員を援助・救出している組織である。
アイヒマンやメンゲレもこの組織に助けられたと言われている。ホロコースト否定論者フレッド・ロイヒター、同じく否定論者であるオットー・エルンスト・レーマー(反ヒトラークーデターワルキューレ作戦を鎮圧した軍人)の弁護をした、ハヨ・ヘルマンもこの組織のメンバーだと言われている。

この組織のメンバーの誰かが、トーラックの馬を所有し、売った金を活動資金に充てようとしているのでは……ということで、ブラント君はなんとミュンヘンまでグドルン・ブルヴィッツに会いに行く!……が、一見穏やかそうだが目の奥には厳しさがある、父親にそっくりなグドルンにほんの数分会ったところで、馬に関するヒントなどは得られなかった。

ブラント「シュティッレ・ヒルフェは、どこから資金を得ているのですか?」
グドルン「この世界にはまだ良い方もいらっしゃるのよ。今も私たちを忘れずにいて下さる方も……」

ちなみにグドルンは2018年に亡くなった。

ソ連軍・戦利品旅団

ソ連軍の「戦利品旅団」は、第二次大戦時、スターリンから「ドイツにある価値の高いものを片っ端から奪って来るよう」命じられた。
戦利品旅団に盗まれたものの中には、シュリーマンが発掘した「トロイアの宝物」も含まれており、これは現在もモスクワのプーシキン美術館に展示されている(ちなみにシュリーマンはトロイ遺跡の中から鉤十字模様を発見した)。
ソ連軍が略奪したものの中には、もちろん「ナチス芸術」も含まれる。
トーラックの馬は、破壊されないようどこかに隠されていて、それをソ連軍が発見し略奪、その後現在の所有者がまた取り戻したのだろうか……?

ブラント君と仲間は、エーベルスヴァルデという都市に向かう。
冷戦時そこにはソ連軍の兵舎があり、1994年まで千人ぐらいのロシア人が暮らし、ドイツ人の立ち入りは固く禁じられていた。

兵舎に一度だけ入ったことのあるエーベルスヴァルデの元市長に話を聞くと、なんと兵舎の運動場にはトーラックの馬が置かれていたという。それと共に、ブレーカーの「告知者(キュンダー)」、「使命感(ベルーフンク)」という二体の男性裸像、さらに、ゲッベルスが日記で天才だと評した彫刻家フリッツ・クリムシュの裸婦像二体(総統官邸の庭に飾られていたらしい)も置かれていたという。
冷戦中、それらの彫像が「ナチス芸術」であることは隠され、「共産主義芸術」としてずっと飾られていたのだ。
では、ソ連が崩壊し、ロシア人が去った後はそれらはどこに行ったのか?現在の所有者はロシア人から彫像を買ったのか?どうやって?

秘密警察シュタージ

1970~80年代ごろにかけて、東ドイツの秘密警察シュタージは、ソ連の「戦利品旅団」が略奪していった美術品を裕福な西側に売って外貨を稼ぐことをモスクワから承認されていた。その美術品の中にはもちろん「ナチス芸術」も含まれていた。
それだけではなくシュタージは、東ドイツ国民が所有していた美術品を没収したり、贋作を作ったりして、それらを裕福な西側に売っていたのだ。
現在美術館に展示してある作品にもシュタージ作のものがいくつか(それとも、かなりたくさん)紛れこんでいるかもしれない…。
なのでおそらく、ナチの残党がトーラックの馬その他を手に入れるとしたら、ソ連が崩壊する直前、シュタージ経由でであろう。

そして調査を進めていくにつれて、容疑者が3人に絞られていく。
①極右勢力と繋がりがあり、自宅のガレージに戦車を隠し持っていると噂の男・フリック
②ハヨ・ヘルマンなどのホロコースト否定論者と間接的に繋がりがある男・アードラー
そして、3人目は………

アレクサンダー騎士団

3人目の容疑者は、「アルノ・ブレーカー美術館館長」であり「アレクサンダー騎士団グランドマスター」であるジョー・F・ボーデンシュタインである(本の中ではナッセンシュタインという偽名になっていた)。

アレクサンダー騎士団っていったい……かなり端折っているが、この本には次から次へと個性的な人物が登場する。

どうやら「芸術科学振興アレクサンダー騎士団」の団員は、ヴィルヘルム2世の娘ヴィクトリア・ルイーゼ、サルバドール・ダリ、航空宇宙技術者ヴェルナー・フォン・ブラウン、俳優ピーター・ユスティノフ、そしてアルノ・ブレーカーなどで、初代グランドマスターは「寄宿舎~悲しみの天使~」の作者ロジェ・ペルフィットだったらしい。

アルノ・ブレーカー美術館はアーヘンの近くの「ネルフェニッヒ城」にあり、ブラント君はそこに向かう。

館長ボーデンシュタインは(グドルンと同じく)穏やかな外見で、気のいい老人だが、このブレーカー美術館は極右政党から激賞されているらしい。
展示してある美術品に違法なものは無く、巨大な馬の彫刻を隠しておけるようなスペースもなかった。

別れ際、ボーデンシュタインは言う。

「最近の若い人は、自国の文化を誇りに思うことをやめています。まるでゾンビみたいだ。奴らは私たちを原始人に戻そうとしているのです」

世界首都ゲルマニア

ブラント君がベルリンで正体不明の大男二人に尾行された場面は面白かった。そんな映画みたいなこと実際にあるのか?と。
ブラント君が市電に乗ると、男二人も乗ってくる。
ブラント君は市電の中で男に近づき、「どうやら僕たちは行き先が同じようだから一緒にタクシーでも拾いませんか?」と話しかける。
男たちは困惑し、ブラント君を睨みつけながら次の停留所で降りる。
……正体不明の大男を困惑させるぐらいの度胸と手腕が無ければ、美術探偵は務まらないのだ。

美術探偵には度胸も必要だが、膨大な知識も必要だ。
例えば、「ローマ時代のモザイク作品」のはずなのに、コンゴウインコが描かれている。コンゴウインコは南米の熱帯雨林にしか棲息しておらず、コロンブスがアメリカ大陸を発見する前なのに、ローマ人がこの鳥を知っているはずがない。よって、このモザイク作品は贋作である。
……というように。美術探偵たる者、鳥類の生息地と発見された年代まで頭に入れていなければならないのだ。

知識と度胸と行動力を駆使し、「シュピーゲル紙」記者やベルリン警察などと協力して捜査を進めるブラント君。
とうとう、容疑者3名の家宅捜索に踏み切ることに。

早朝。フリック、アードラー、ボーデンシュタインそれぞれの屋敷は警察の車に取り囲まれる。警察は容疑者に捜索令状を読んで聞かせ、敷地内を捜索する。

ボーデンシュタインの城からは怪しいものは何も見つからなかった。

フリックの庭には、総統官邸入口にあったブレーカーの彫像「国防軍」が、ガレージからは第二次大戦時の戦車、対空砲、巡行ミサイルⅤ1などがどっさり見つかった。しかもガレージの壁には総統官邸とおそろいの赤い大理石のタイルが貼られていた。

アードラーの倉庫からは、トーラックの馬、ブレーカーの彫像2体、クリムシュの彫像2体、さらにブレーカーのレリーフ「見張り(ヴェヒター)」が発見された。「見張り」は高さ10メートル、重さ40トンという巨大なレリーフで、剣を持つ筋骨たくましい男性裸像が彫られている。

このレリーフは、「世界首都ゲルマニア計画」で建設される予定だった大理石の巨大凱旋門を飾るために作られたのであった……。

冷戦終結

冷戦終結直前の1988年、アードラーはエーベルスヴァルデのソ連軍兵舎にブレーカーやトーラックの彫像が置かれていることを知る(写真が出回っていた)。
そこで、とあるディーラーに接触する。このディーラーは、国境警備隊だのシュタージだのに賄賂を配り、西ドイツ人なのにも関わらず東ドイツを自由に歩き回っていた。

1989年1月、そのディーラーがソ連軍と話をつけ、くず鉄業者のトラックに彫像を隠し、西ドイツに密輸したのであった。
もしそうしなければ、冷戦終結時に全ての彫像は破壊されていたかもしれない……。

1939年

アルベルト・シュペーアが設計した新総統官邸。
中庭に降りる階段の両端に、たくましい馬のブロンズ像が飾られている。
美しく崇高な芸術には、ドイツ民族の偉大な未来への道が託されている。
その未来はそう遠くはないだろう。

神々しい太陽の光が、雲間から中庭に差す。

馬は、輝いている。

………当時はこんな感じだったんだろうか。

芸術は美しいだけではなく、政治思想に密接に関連している。
時代にそぐわないものは排除され、ぴったりなものは称賛され……。
その時の思想ひとつで、町の景観すら変わってしまう。
それが暗いものであろうと輝かしいものであろうと、破壊されてしまってはそこから何も学ぶことは出来ない。
ブラント君も「歴史は不幸の連鎖である。前の時代の不都合な部分を残らず消し去ったとしたら、後には何も残るまい」と言っていたし……。

ふと、フリックたちが言っていたことを思い出した。

「昔の人は美しい芸術を生み出していたのに、今のはごみくずみたいだ……。政治もごみくずだ。正義と社会秩序のために、また強いリーダーが現れなくてはならない………」

「奴らは私たちを原始人に戻そうとしている………」

「この世界にはまだ良い方もいらっしゃるのよ。私たちを忘れずにいてくれる方も………」

馬は、輝いている。







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