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私を編み直す「サウンドスケープ」とは何か①自己紹介

 去る3月23日にアートミーツケア学会研究会『現場のことば、研究のことば』@大阪大学COデザインセンターが開催され、『現場のことば+研究のことば=アートのことば』と題して20分間の話題提供をさせて頂きました。ちなみに昨年度から2年間、この理事も務めさせて頂いています。
 
 2011年東日本大震災を機に始まった「音楽、サウンドスケープ、社会福祉」実践と研究は、今ふりかえると自分の「語りなおし、編みなおし」だったとあらためて感じています。原発事故後の不安と混乱の社会の中で、「音楽する私」というアイデンティティが(何よりも子どもの命を最優先する母親として)大きく揺らいでしまった危機感から、「音楽すること」の意味を問い直す「ことば探し」が始まります。弘前大学今田匡彦研究室でのサウンドスケープ哲学の研究のなかで、当時アートミーツケア学会会長だった鷲田清一先生の『聴くことの力 臨床哲学試論』に親和性を感じ、哲学カフェ(哲学対話)にも出会いました。
 今あらためて12年間を振り返ると、音楽至上主義だった自分が「ことば」に寄り添い始めたことで世界は大きく変化していきました(まさにパラダイムシフトです)。その道筋の中で私は『何を』してきたのか。『何と』『誰と』出会ってきたのか。勇気を出して『この私』を語りなおし、他者に伝える『ことば』を探していくことで、音楽/音だけでは出会うことのなかった人や世界に、自分がひらかれていくことも知りました。自分を編みなおすプロセスとは結局、『音楽との関わり直し、世界の捉え直し』でもあったと言えます。
 私は4歳からピアノを始めましたが、西洋クラシックの専門教育(特に楽典やソルフェージュ)のなかで刷り込まれていった音楽観/世界観を一度「学びほぐす」必要があったのです。70年代にカナダの作曲家R.M.シェーファーが提示した「サウンドスケープ」という世界の捉え方、考え方からは大きな影響を受け、また音楽のウチとソトをつなぐ活動の根幹となりました。
 例えば2011年以降の世界観がどのように変わったかと言えば、以下の写真が象徴的です。演奏や作曲を通した一方向的な関係性から、双方向的に響き合う場が生まれていきました。特にそれまでは無縁だった音楽のソトの世界、特に社会福祉の現場につながっていくのでした。

ササマユウコ 2011年以降の音楽活動の変遷

 このふたつの世界の対比は、もちろん優劣や是非ではありません。2011年以前の作曲や演奏に尽力する時間があってこその「今」だと感じています。シェーファーが70年代に著書『世界の調律』のなかで提示した「音楽、サウンドスケープ、社会福祉」の道筋は一方向・一直線ではなく、三者が響き合って生まれる森羅万象の世界です。
 では、その「サウンドスケープ」とは何か。これまでにも学術的な場では様々にご紹介していますが、このnoteでは音楽のソトの世界の方たちにも判りやすい言葉で、ここから折に触れて書いていこうと思います。なぜならサウンドスケープという「世界の考え方」は、シェーファーが予見した通り、音楽のみならず人生を豊かに響き合わせてくれる人智だと思うからです。
 私が今も『音楽家』を名乗るのは、音楽の扉から世界を考えているからです。今の活動は、もしかしたら哲学や思想の方が近いかもしれませんが、即興演奏やピアノの練習は日々続けていますし、音のある/ないオンガクについてはこれからも一生、考え続けていくだろうと確信しています。だから『音楽家』なのです。

R.M.シェーファー『世界の調律』平凡社
The Tuning of The World

***余談***
 そもそも、子どもの頃に受けた楽典教育のなかで「使ってはならない音」があると知ったことが「音楽とは何か」という「問い」の始まりでした。1960年代以降、昭和の家庭には既にテレビがあって、現役のビートルズはもちろん演歌やロックや歌謡曲や民謡や浪曲やジャズなど、毎日さまざまに豊かでオモシロイ音楽が流れていました。私はその音楽に夢中になったテレビっ子でもありました。もちろんクラシックは大好きでしたが、「クラシック以外はだめ」という先生の姿勢には早々に疑問が生まれました。自分のアイデンティティとは違う「何か」を刷り込まれるような感覚もありました。
 私は今年60歳になりますが、気づけば人生のほとんどを「音楽とは何か」と問いながら生きてきました。大学卒業時は、当時アートの最先端と言われていたセゾングループが新しく立ち上げた「一芸入社制度」を使って音楽で入社しました(が、なぜか映画に配属になり紆余曲折 苦笑)。90年代以降、急速に複雑化/デジタル化する音楽シーンへのアンチテーゼとして、シンプルなアナログ手法で西洋/非西洋の「境界」を探りました。2000年代の作品群はPeace and Quietシリーズと名付けていますが、この言葉もシェーファーの『世界の調律』から引用しましたし、さらに言えばジョン・ケージ『サイレンス』にも登場します。シェーファー曰く、「平和と静寂」は世界中に存在する言葉だそうです。
 大変有難いことに、2007年からYukoSasama名義の作品はN.Y.から72ヵ国で世界配信されていますし、その他にも過去の音楽作品によって現在の活動が支えられています。N.Y.から直接お声がけ頂いて、国内関係者のご尽力の中で個人契約を通して早17年の月日が流れました。非常に細々とではありますが、この地球上からリスナーがゼロになる日までは流れ続けるのだと思います。※ダウンロード配信の黎明期あれこれも機会がありましたら記しておきたいと思います。


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