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『心象スケッチ 春と修羅 序』3月11日映像公開/空耳図書館コレクティブ制作メモ(03/02)

 写真は映像音付け用のネイティブ・アメリカン太鼓です。ネットで入手したら予想以上に大きかった・・・(上に乗せているのは普通サイズのタンバリン)。しかもインドネシア製でした(苦笑)。予算が限られた中で、かなり吟味したはずが肝心の情報を見落としていたけれど、音が理想に近かったので良しとします。今回いろいろ資料を見たり聴いたりする中で、岩手と太平洋を挟んだ北米ネイティブ・アメリカン(カナダ)の太鼓がつながりました。音楽人類学的にもシベリア、アイヌ、イヌイット、ネイティブ・アメリカンの音楽には共通点が多く、実際にYoutubeで聴き比べてみると地球がぐっと小さくなるような感じがします。
 話が少し逸れますが、2007年にネイティブ・アメリカンの民謡、南シベリア・トゥバ共和国の民謡、ピアノの即興を合わせた『生きものの音』(真砂秀朗、ササマユウコ、等々力政彦 Ikimonono oto Project)というCDを制作しました。その時にもシベリアから北米が一気に音でつながるようなサウンドスケープを体験したのですが、最初は自分の「ピアノ」だけが特殊というか。。西洋近代工業製品の「圧倒的な大きさ、強さ」に生まれて初めて戸惑いも感じたことをふと思い出しました。
 自然の音と共にあろうとする他の民族楽器と比べて、ステージ上で音をコントロールする装置としてのグランドピアノは、まず大き過ぎる。揺らぐ音程に柔らかに合わせる構造がない(融通が利かない)、その存在感がどこか独善的にも感じました。マイノリティとマジョリティ、西洋と非西洋、それは現代社会が抱えるアンバランス問題そのものを体験するような時間にもなりました。「楽器の王様」と言われたピアノは「不自由な楽器」でもあるときづいた経験です。

 話を空耳図書館コレクティブに戻します。このところ毎日マイクの前でひとり太鼓を叩きながら、花巻の原体剣舞連、鹿踊り、、賢治が作品にも残し、最期まで好きだった祭りや太鼓の響きに思いを馳せています。
 青空の下、ズレながらも響き合い、ひとつの音の塊となって木霊する。森羅万象を震わせる、太鼓のリズムは命の鼓動。
Dah- Dah-Dah-Dah
Dah-Sko-Dah-Dah
 何度も何度もマイクの前で太鼓を叩いていますが、一打一音から広がるサウンドスケープはピアノのそれよりも集中度や深さを要求される気がします。一度たりとも同じ音が出ない、逆に言えば自分の心象が全て音に乗ってしまいます。
 ちなみに今回のコレクティブメンバーは、福祉作業所カプカプやコミュニティスペース芝の家の「祭り」仲間でもあります。ここ数年、アートの原始を共に過ごした時間や経験が創作にも反映されています。とてもクリエイティブな現場でした(そして今は孤独な時間を過ごしています)。
 映像は3月11日公開予定です。どうぞお楽しみに。

『コロナ時代の"新しい音楽のかたち"を思考実験する②空耳図書館の活動を中心に』
ササマユウコの音楽活動(文化庁文化芸術活動の継続支援事業)


〇コレクティブメンバー(50音順)
新井英夫、石橋鼓太郎、板坂記代子、小日山拓也、ササマユウコ、三宅博子
Direction&Soundscape design ササマユウコ
Movement 新井英夫
Masc 小日山拓也
Textile 板坂記代子
Reading 石橋鼓太郎
Voice 三宅博子、ユウコヒロコタロウ

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