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最近聴いているアルバム2022.11



Deacon Blue 『Raintown』(1987)

都市の生活者としての視点。洗練されきらない荒さ、初々しい希望、グラスゴー特有のソウル、粒揃いの曲たち。吐く息が白い早朝の旅立ち。Prefab Sproutと比較されることも多いけど、私は本作に関してはグラスゴーのThe Replacementsだとみなしている(特に『Let It Be』期)。とても真摯だしチャーミングだし、一定の層の人達にとってはたまらない作風。聴いていた時期が思い出に変わるタイプのアルバム。



Charlie Haden & Pat Metheny 『Beyond The Missouri Sky』 (1997)

頭痛がする時に聴くアルバム。ほとんどエフェクトのかかっていないギターとウッドベースの競演。シンプルな演奏から悠久の大地と親密なムードが同時に流れ出す。ミズーリには行ったことはないけど、この空と平原はずるい。



The Replacements 『Dead Man's Pop』 (2019)

最も好きなバンドの一つ。大学四年生のときはこのバンドしか聴いていなかった。名作6th『Don't Tell A Soul』(1989)の別バージョン。Matt WalleseがプロデュースしChris Lord-Algeがミックスしたのが原版だが、この作品はChrisのミックスを施していないネイキッド版。原版は市場を見据えたAOR的なふくよかな音で、Paul(ボーカル)はそれに不満タラタラだったので、本来あるべき姿として作り直したのが本作。遥かに素朴で距離が近い。どっちのバージョンも全く違う良さがあって青春が生まれ変わる。



Olafur Arnalds 『Some Kind Of Peace』 (2020)

よりパーソナルで親密な作風へ向かった2020年の重要作。ポストクラシカルアーティストの中でも、そして彼の中でも、特に繊細で美しく慈しみに溢れた作品であり、汚れた心がリセットされていく。彼は「作品とはその時点での仮の姿に過ぎず、完成版は無い」と話しており、実際本作のピアノリメイク版を今年出している。そちらも合わせれば2倍楽しめる。



Thus Love 『Memorial』 (2022)

朗々としたええ声のボーカルが好き。ギターを弾き倒す。言いたいことも無い形骸化/自己目的化した昨今のポストパンク勢("Tennis"とか"Sports"とか連呼するだけみたいな)とは異なり、今を生きる焦燥とリアルな耽美性を漂わせる。この雰囲気を出せるバンドは少ないので追い続けていきたい。カリスマ性は十分だがいかんせん単調なので、もう少しメロディに展開があればなと思う。



Nick Hakim 『Cometa』(2022)

Elliott SmithとかSparklehorseみたいなソングライター志向になっているが、この人はぶっちゃけソングライティング能力自体は普通だと思うので、本作には期待したほど魅力を感じなかったのも事実。それでも荒廃とした独特の寂しさ溢れる音は健在。ちなみにRoy Nathansonとやった去年のアルバムは更に良いので、多くの人に聴かれてほしい。



The Cure 『Wish』(1992)

The Cureは私の最も好きな80年代のバンドで、『Wish』は彼らのアルバムでは二番目に好き。11月末に30周年リマスターがリリースされた。このアルバムは彼らがビッグになってから数作目で、世界トップのロックバンドとなった風格と覚悟が迸っている。ごく乱暴に言えば『Kiss Me』のメジャー版という感じで、それまでのディスコグラフィと比較して目新しさこそ無いが、美しい絶望と幼稚な希望と柔らかな叙情が高い完成度で展開されている。

にも関わらず、『Faith』や『Head On The Door』の頃の「自分一人のために歌ってくれている感覚」、U2やDepeche Modeですらビッグになる過程で失ったその感覚が、本作にもなぜか残り続けている。いくら売れても、この人の面倒くさいロマンティシズムと底冷えするような現実主義が変質することは遂に無かった。


余談

ナイジェリアに20年住んでいるインド人が遊びに来たので、ナイジェリアの音楽事情について聴いてみた。彼曰く、最近のアフロビーツの流行には良い面と悪い面があるらしい。まず良い面はナイジェリアに注目してくれる人が増えるのは喜ばしいということ。

悪い面は、ナイジェリアは貧富の差が非常に激しく("富"が尋常じゃないくらい"富"なのが他のアフリカ諸国との違い)、アフロビートのスターの音楽を聴いているのは数%の金持ちだけで大半の人は音楽を(主体的には)聴いていない(街でイヤホンしている人は強盗の良いカモ)ということ。殆どのアーティストはアフロビートの系譜を理解しておらずただ流行に乗っているだけだということ。彼らの振る舞いやスタイルは、ナイジェリア人の精神やライフスタイルが込められたものでは全くないということ。

勿論、彼の考えは主観的なものなので鵜呑みには出来ないが、参考にはなった。アフロビートのアーティストにも良し悪しはあるので、珍しい国の音楽がアメリカで流行っているからと言って、それだけを理由に称賛したりはしないようにしたい。


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