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【コンサル物語】会計士、海を渡る②(アメリカ進出)

 南北戦争(1861〜1865年)後、アメリカは急速に成長する産業大国として台頭してきました。1870年代や特に1880年代を通じて、イギリスの資本家達は堅調なアメリカ経済に多額の投資を行いました。彼らの経済的利益を守るため、資本家達はイギリス(イングランド、スコットランド)の会計事務所に対して、アメリカへ定期的に訪問することを要求してきました。そこにはどのような背景があったのでしょうか?

 19世紀におけるイギリス資本主義の構造変化により、イギリス国内では地方の大土地所有者による金融資産への投資が増え、その投資先としてアメリカ企業が対象になっていたことはご説明した通りです。投資先となるアメリカ企業には、多額の事業投資を必要とし、合併・統合の盛んな、鉄道事業や醸造事業が圧倒的に多くを占めていました。

 当時のロンドンの金融プロモーターは、投資家に対して様々な投資先を紹介しつつ、スコットランドやイングランドの会計事務所に対しても仕事を発注し、アメリカの投資先会社の財務情報について調査を依頼してきました。そのため、会計事務所がパートナーとスタッフの数名をアメリカに派遣することが多くなりました。例えば、プライス・ウォーターハウスの場合は1873年を皮切りに、1880年代には繰り返し渡米するようになりアメリカでの業務が増えていました。

 投資家がイギリス人であるということにより、アメリカ企業でありながら現地アメリカ人による会計調査が好まれないと考える面もありました。また、1880年にイングランドとウェールズでも勅許会計士が制度化されていることで、イギリス人会計士への信頼が増していたという状況であったと考えることができます。

 イギリスの会計士が大挙して大西洋を渡った背景には他にも当時のアメリカ国内の会計士事情も考えられます。

 アメリカの会計士業界はイギリスに比べ未成熟で専門的な会計士が少なかったと思われます。例えば、会計士の人数を見ても、1870年には、ニューヨークに12人、フィラデルフィアに14人、シカゴに2人、合計28人が自称会計士として商工人名録に登録していたに過ぎなかったという記録が残っています。16年後の1886年でも、ニューヨーク45人、フィラデルフィア33人、シカゴ6人、計84人に増えているに過ぎません。ロンドンでは1860年にすでに300人以上の会計士が登録されていたことを考えるとその差は歴然です。言わばひと昔前、19世紀前半のイギリスの会計士業界に近かったのかもしれません。

 アメリカでの会計士の認知や地位は低く、業務は帳簿整理が中心だったと言われています。そんな中、イギリスからは専門性の高い、高度な会計技術を持った会計士達が押し寄せてきたのです。

 このような状況を受け、イギリスの会計事務所はアメリカでの仕事をするために何度も何度もイギリスからアメリカにパートナーとスタッフを派遣していました。ちなみに、当時はイギリスからニューヨークまで船で8日程度かかったようです。出張の移動だけでも相当なものだったわけです。

1.1880,1890年代イギリス-アメリカ間は船でどれくらいかかりま... - Yahoo!知恵袋

 当初はイギリス本土からアメリカでの業務を管理していたイギリスの会計事務所の中に、アメリカに事務所を構えた方が賢明だと考えるところがでてくるのは自然なことでした。最初にマンチェスターの会計士が渡米しニューヨークに事務所を開設したと言われていますが、その後に続くように、現在のBig4に繋がるイギリスの会計事務所が次々とアメリカに進出していきました。

『闘う公認会計士』(千代田邦夫 著)
(参考)ニューヨーク・ブロードウェイ45番地のALDRICH COURTにニューヨークオフィスを構えたプライス・ウォーターハウス。当時の現地の様子

 イギリスの会計事務所がアメリカに事務所を開設したことは、その後のアメリカでの事業拡大、特に本業の監査以外の事業(コンサルティングサービス)拡大に繋がっていきます。アメリカに進出した大手会計事務所は、20世紀に入り本業以外に「財務調査」や「会計システムのアドバイザー」といったコンサル業務を始めていきますが、これらの業務は20世紀初頭のコンサルティングメニューとして主に提供されていたものでした。例えば、1920年代〜30年代初頭にかけてマッキンゼーやブーズといったコンサルティング・ファームにとって財務調査は収入の多くを占める仕事でした。

(参考資料)
『闘う公認会計士』千代田邦夫 著
『ACCOUNTING FOR SUCCESS』DAVID GRAYSON ALLEN / KATHLEEN MCDERMOTT

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