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【コンサル物語】世界恐慌とコンサルティング業界の意外な関係

未曾有の好景気、狂騒の時代。アメリカの歴史上、1920年代はそのように形容されることが多いと思います。そして、その結末は1929年から始まる世界恐慌です。株価の大暴落、数千行に上る銀行の倒産、25%以上の失業率といったことが起きた時代でした。

1933年にアメリカ合衆国第32代大統領に就任した、フランクリン・ローズヴェルト大統領の元、矢継ぎ早に打たれたニューディール政策。政策の一環として施行されたいくつかの法律や規制により、当時のコンサルティング業界は副次的に大きな影響を受けました。そして、コンサルティング会社の勢力図が大きく変わるきっかけにもなりました。今回は、世界恐慌をきっかけにしたニューディール政策とコンサルティングについての歴史を紐解きたいと思います。

大恐慌前の1920年代のコンサルティング業界の一面として、プライス・ウォーターハウス(後のPWC)等の大手会計事務所が一端を担っていたという歴史があります。特にシカゴのアーサー・アンダーセン会計事務所は、ニューヨークやボストンの銀行と一緒に、企業の財務調査コンサルティングを提供し高く評価されていました。一方でマッキンゼー・アンド・カンパニー、ブーズ・アレン・ハミルトンといった、後に巨大戦略コンサルティングファームとなる経営エンジニアリング各社は、社員数名で事業を始めたばかりでした。

そのようなコンサルティング業界に大きな影響を与えたニューディール法がありました。1933年の銀行法と連邦証券法、翌年1934年の証券取引所法です。

ただし、これらの法律の目的はコンサルティング業界に対する規制などではありませんでした。コンサルティング業界は当時まだまだ小さな業界でしたので、銀行や証券業務に対する規制の余波がコンサルティング業界に大きな影響を与えた、という方が適切でしょう。

各法の目的は預金者や投資家の保護にあり、銀行を商業銀行(預金)と投資銀行(投資、証券)に分割したうえで互いの領域には踏み込めないこと、株式会社には会計士によって監査された財務諸表の情報開示が求められるようになりました。

コンサルティングへの影響という点では、これらの法律、時を同じくして設立された証券取引委員会(Securities and Exchange Commission 通称SEC)の情報開示規制により、銀行や会計事務所のコンサルティング活動が禁止されたことが挙げられます。それぞれの本業とコンサルティング業務が利益相反するため中立性を脅かすという理由です。

先に書きましたが、それまで銀行と共に財務調査等のコンサルティング業務を展開していた会計事務所にとっては、ニューディールの規制により会計事務所として留まるかコンサルティング会社に鞍替えするかの経営判断を迫られる状況になったのです。

一般に、小規模で専門性の高い事務所、例えばマッキンゼー・アンド・カンパニーやスティーブンソン・ジョーダン・アンド・ハリソンは経営コンサルタントの道を選び、ピート・マーウィック・ミッチェルやアーサー・アンダーセンなどは会計士にとどまることを決断した。
(中略)
経営コンサルティングの分野から撤退したアーサー・アンダーセンの決定は、1920年代のこの分野における同社の影響力とその後1990年代に世界最大のコンサルティング会社として再興されたことを考えると特に注目すべきである。

『The World's Newest Profession』

1920年代に財務調査でコンサルティング技術を評価されていたアーサー・アンダーセンがコンサルティングを放棄し撤退を決めたことは、規制にあらがえない様子を感じる記録として同社の社史に残っていました。

1929年の大恐慌で、融資の仕事は減り、この種の仕事は1930年には実質的に廃止された。その後しばらくの間は、組織内でエンジニアリングのスキルを持つ者が日常的なシステム業務を続けていたが、次第にシステムの専門家がいなくなり、1930年代後半から1940年代前半には、発生するシステム業務は専門家ではない会計監査部門が担当するようになった。

『THE FIRST SIXTY YEARS』

さて、ニューディール法により会計事務所や銀行が抜け空席となった経営コンサルティングの席には、マッキンゼー・アンド・カンパニーを始めとするコンサルティング専門会社が殺到するようになります。1930年代アメリカで、経営コンサルティングの新たな担い手が誕生するのです。

(参考資料)
『アメリカの歴史』(有賀夏紀・油井大三郎)
『コンサル一〇〇年史』(並木裕太)
『闘う公認会計士』(千代田邦夫)

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