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会津の馬刺し

物心つく前から当たり前のように食べていたので、子どもだった私でも、馬がかわいそうなど、微塵も思ったことはない。

東京から母方の実家、福島県会津若松に帰省すると、祖父が奮発して必ず食卓に出してくれた真っ赤な馬刺しは、筋を全く感じない柔らかい肉質で、くせがなくあっさりしている。それを辛味噌や生姜醤油なんかで食べる。

カレーやハンバーグではなく私の一番の大好物は馬刺しだった。

ある年。その年も帰省して馬刺しを食べるのを楽しみにしていた小生意気な舌を持つ少年の私に、突然、母から、祖父にがんという病気が見つかったことを告げられた。

そのがんという病気は、悪性なものだと死に至ることもあると、その時、はじめて知った。

私は、まだ身近な人の死を経験したことがなかったが、大好きな祖父の命を奪うかもしれないという、がんが恐ろしかった。

怖くて、その日は、とにかく泣いた。

それから、数日たったある晩、夢を見た。

私が、鶴ヶ城の本丸で、観光客向けの白虎隊のコスチュームを着て佇んでいる。
その私を取り囲むようにグルグルと19頭の馬が反時計回りに走っている。
馬たちがあげる土埃の中、その円の中心には、私と、向き合うように皿に盛られた馬刺しが、いる。

そして、皿に盛られたその馬刺しはテレパシーのように私の脳に直接語りかけてきた。

曰く、私が馬刺しを食べるのを金輪際やめれば、つまり馬刺し断ちをすれば、祖父の病気はこれ以上、進行しないという。

私は、その契約を受け入れることを約束した。

目が覚めて、2階の寝室から1階のリビングにおりると、母が普段とは違う、イントネーションで誰かと電話口で話していた。 

そして、受話器を置き、少し潤んだ目で、奇跡的に祖父のがんが小さくなっていて、もう大丈夫だ、ということを私に伝えた。

それ以来、私は、帰省して馬刺しが出されても一切箸をつけることはなかった。

それから20有余年。

祖父は91歳で老衰で亡くなった。

葬式はしめやかに営まれた。

大人になった従兄弟たちとも酒を酌み交わしながら、祖父との思い出を語り合いたかったが、私は、仕事の都合で、ひとり東京へ戻った。

夜、阿佐ヶ谷駅に着き、自分が暮らすアパートへ、とぼとぼ歩いていると、ガラス張りの居酒屋のメニューの中に、馬刺しがあるのを見つけた。

私は暖簾をくぐり、瓶ビールと久しぶりの馬刺しを頼んだ。
優しかった祖父を偲び、今日は馬刺しを食べる。
頭の中で、祖父との思い出が巡った。

しかし、運ばれてきた馬刺しをみて驚いた。

それは、私の知っている馬刺しとは程遠く、サシがしっかり入って脂の乗った熊本県産の馬刺しだった。

それを甘い九州の醤油で食べた。

懐かしさこそ皆無だが、これはこれでうまい。

そして感傷的な気分もどこへやら、私にとって新感覚の馬刺しをペロリ平らげて、そそくさと店を出た。



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