12.ガタカ

クーラーの効いたスーパーの中では『食の秋』の看板ばかりで冬の足音が近づく気配がするが、一歩外に出るとまだ夏の湿気を感じる『残暑』という言葉が相応しい季節だ。

9月末ともなれば、卒業論文もそろそろ骨格が出来てもいい時期なのに身体検査の再検査対策という名目の下、僕は『ひとりフレックス』というよく分からない言い訳で研究室に行く前に朝から泳いでいた。コアタイムは無かったが一応9時には居るのが4年生だ、みたいな空気があった。
ちなみにジムの開館時間は8:30だ。

昼前に研究室に行くとやはり芝山准教授に呼び出される。不遜な態度は決して取っていないので単純に心配されていたのだと思う。
「全然進んでないけど大丈夫なのか?学部生は結果よりプロセスなんだから。教授に一生懸命やってる姿勢見せとけよ。来週月曜日の研究室ミーティングまでにしっかりパワポ準備しとけよ。」

そう言って芝山准教授はいつも通りにタバコを吹かした。壁や窓は黄色く変色している。部屋には免罪符と言わんばかりに観葉植物で一杯なのだが僕のような非喫煙者にとってはディストピアそのものである。

学部生に研究の『成果』が求められてないことは肌感覚でも分かる。知識と経験不足でテキストベースの学部生は使い物にならない(場合が多い)。

今思えばま自分に研究職が向いていないだけなのだと思うが、僕はアメリカ映画の田舎の街出身の主人公のように「いつか実力でここを出たい」という意志だけははっきり持っていた。

周りは院試の勉強をしていた。一応名は知れてる大学だったので院卒で修士号を取得すれば上場企業への就職は間違いないだろう。
あるいは研究職についても教授となれば安定した生活は待っているに違いない。

でも僕にはその先にパイロットは見えなかったので院試は選択しなかった。
もちろん周りを見てブレそうになる時もある。そんな時は自分が自社養成に落ちた時の日記を読んで鼓舞するのであった。

◆◆
結局身体検査の再検査の案内は来なかった。前田君は視野検査でひっかかったらしい。
再検査は良い知らせだ。それさえ受かれば合格という意味である。
逆に僕のように再検査の通知が来ないとなると1発合格か、あるいは1発アウトという事だろう。

とりあえずもう血を採られることは無さそうなので、脳波を整える練習でもしようかと考えていた。

丁度その時期に、ジムのバイトの先輩のツテでヨガ教室を紹介された事があった。平日の昼間のクラスは有閑マダム達ばかり。かなり勇気がいったが何となくヨガは脳波に良さそうなので試しに行った次第だ。
腹式呼吸の練習に始まり謎のポーズをとる。
正直運動強度で言えばストレッチ位に感じるので達成感は無いがリラックスしたような気はした。
その後一度も行く事は無かったけど、脳波の為にやれる事はやっておきたい気持ちだった。

鍼に行ってみたのもこの時期であった。
脳波=リラックスしてるといい=筋肉がリラックスしてればいい、という論法(?)で身体に針を打ってみたりもした。

もちろんこの時はまだ身体検査の合格通知があった訳ではない。でも、感じていたのは楽天の三木谷浩史さんの『目標のために努力するのではない。努力するために目標が必要なのだ。』という言葉だった。

不合格通知が来た時点で僕は堕落した生活になるに違いない。
人は希望があるだけでイキイキする事が出来るのだ。

◆◆
前田君たちの再検査が終わって1週間ほどしてから前田君から連絡があった!

「俺、受かってました!どうでした?」

僕は慌てて玄関の郵便受けまで走った。
だが、そこには脳波検査の案内の通知は無かった。

通知は基本的に日付指定で来る。
今日来ていないという事は…

「この目の前が真っ暗になる感じ」と思った。
まただ。自社養成試験よりも努力していただけあって嘆息が漏れた。

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