1.そしてパイロットを志した

2008年、大学2年生の夏休み中の僕は山梨県の富士スバルラインのワインディングロードをバイクで駆け上がっていた。

工学部の2つ上の先輩である東さんの愛車、CB400クラッシクのテールランプを追いかける。

右へ左へと重心を移動させながらコーナーを抜け、エンジンの一番トルクが出る回転域までアクセルを吹かして加速していく。

夏なのに鳥肌が立つ。バイクで山を登る時のこのワクワク感がたまらない。

この時は、まさか東さんの背中をその先ずっと追いかけて行くとは思いもよらなかった。

◆◆

バイク繋がりで知り合った東さんには入学当時から学部の試験の過去問を頂いたり、大変お世話になっていた。

3年生の後半で「就活」が忙しくなった東さんとはしばらく会ってなかったのだが、先輩が4年生になった夏休みにいきなり連絡が来た。

当時僕は大学2年生。大学=人生の夏休み、とは誰が言ったのか分からないが言い得て妙。僕はバイト以外はダラダラすることに貴重な時間を浪費していた。

そんな時、東さんからメールが来た。

「富士山に登らない?、明日。」

特に何も予定がない僕は二つ返事で

「了解しました!」

と返事をした。時間は夕方だった。準備している時間はあまりない。

しかしテレビの山開きのニュースで70代の人がグループで登っていたのを思い出した。

20代前半の自分なら余裕で登れるに決まってる。しかも5合目まではバイクなのだ、と少々勇み足だった。

そして久々に東さんとバイクで遠出が出来ることが嬉しかった。

グレゴリーの防水バッグにトレッキングシューズと簡単な防寒着を雑に放り込み準備完了。高速を走るし、と思いタイヤの窒素圧を測ってガソリンも満タンにしておいた。

この時フットワーク軽く富士山に行っていなければ僕はパイロットになりたいと思わなかったかもしれない。

人生を変えるきっかけはいつも「良い人物に出会うこと」なのだ。

◆◆

富士山くらいの高山になると酸素の薄さが20代でも全然無視出来ない。5合目でバイクを降り、7合目あたりを登っていると若干頭が痛くなってきた。

常に先を歩く東さんのペースが落ちないのはきっとやせ我慢に違いない、と思っていた。

前日の勇み足はどこへやら、ナマケモノのようなスピードで登る僕を見かねて「ちょっと休もうか」と東さん。

「山登りのコツはゆっくりでも進み続けることっすよ!」と幼い頃から両親に連れられよくトレッキングをしていた僕の5合目での言葉が霞んだ。

僕の克己心も簡単に折れ、山腹の景色がいい岩に腰を下ろした。吐く息も白くなり、気温は軍手が丁度いいくらいになっていた。

富士の樹海に清浄されているのか、空気が澄んでいるとは多分この事だ。

「そういえば、就活は上手くいったんですか?」

聞こうと思っていた質問が無意識に出てきた。

「そうだね、行きたい会社に決まったよ。」
飲みかけていたお茶を東さんは岩の上に置いて眼下の街を見ながらこう言った。
「パイロットになる。」

そう言った東さんの顔には自信に満ちていた。

工学部でも成績優秀で大学院への推薦までもらっていた東さんだから当然だと思った。

「何でパイロットになりたいんですか?」

「そりゃあ飛びたいからだよ。鳥みたいに。タケコプターがあればパイロットじゃなくてもいいかも。」

と笑っていた東さんの表情からは冗談じゃなくて本当にそう思っているような気配が窺い知れた。

「どんなところにいくんですか。」

「んー世界中かな。」

サラッと言ったその言葉は僕の心に突き刺さった。旅行が大好きな自分にとっては素直に羨ましいと思った。

「えーそれなら自分もパイロットになりたいです。」

と思わず口からこぼれた。パイロットを目指すきっかけはそんな単純なものだった。

「うん、いいじゃん!」

と先輩。

僕がこの大学の工学部に入ったのは受験の前期入試で第一志望の大学に落ち、後期試験で拾ってもらえたからなのだが、

卑屈にも『NASAでロケットを作りたい』という夢はどこへやら、とりあえず大学院に進んで重工業系に就職できたらいいかな、という程度の志になっていた。

そんな自分とは対照的に幼い頃からパイロットになるためにずっと努力してきた東さんの話は雷が落ちるような衝撃だった。

「自分の子どもに、お父さんは空を飛んで、お客さんを遠いところまで連れて行ってるんだよ。って言えたらかっこよくない?出張に行くのとはまた違った使命感があってさ。」

「やーでも視力も僕は裸眼ですが0.7とかですし。。」

と、すぐにできない理由を言って自分と先輩との圧倒的差を納得させようとする僕。

「今は視力とかあまり関係ないよ。むしろ適性が有るかどうかだよ。それは挑戦してみなきゃ分からないんだけど。」

パイロットになる人って本当に存在するんだ、と。僕の頭のなかの常識が崩れ去る音がした気がした。

確かに東さんは優秀だが、すごくひとあたりもよく、ある意味『普通』だ。とがってない。
旅客機のパイロットは自衛隊とか防衛大学出身で、ガタイが良くて目も良くて頭もキレッキレの人だけがなれる職業じゃないのか、と思っていたのは勝手に僕が『思っていた』だけであることを知った。

正直僕は幼い頃、宇宙飛行士になりたかった。スペースシャトルに乗って宇宙へ行く毛利衛さんに憧れた。どうせなるなら宇宙を舞台に主役になりたいと思っていた。

高校、大学となるにつれてそんな子供心はやがて、宇宙飛行士になりたいと言っておきながらなれなかった時の世間の毀誉に対する怖気に負けていった。

ただ、心のどこかには幼い頃の憧れが残っていたのかもしれない。

今思えば、大学1年生の時にレーシックを踏みとどまったのも、レーシックの先生が眼鏡だったのが主な理由ではなく、何となく『パイロットはレーシックしちゃだめだったよなー。』と思ったからだと思う。

多分どこかで聞いて会社で訓練させてもらえる『自社養成』なるものの存在を、何となくは知っていたんだと思う。まあその道を模索することもなかったのだけれど。

ただ目指す勇気がなかっただけなのだ、失敗した時のことを恐れて。

◆◆

富士山の8合目には山小屋がある。そこで1泊して、次の日2時起きで頂上を目指し、ご来光を見るのが一般的な富士山登山のスケジュールだ。

酸欠状態ながらもなんとか山小屋にたどり着いた僕と、余裕そうな東さんは暖をとりながらカップラーメンをすする。

山のインスタント食品が美味しいのは達成感のせいだけではない。低気圧で鈍化した味覚に対して、普通の食品よりも味が濃いからだというのは、今ならわかる。けれど、その時は理屈抜きに本当に美味しかった。空を見上げると満天の星空が広がっていた。

流れ星は流れ放題である。ここは雲の上。街の明かりも届かない。視界を遮るのは大分薄くなった空気しかない。

その夜は自分がパイロットになった姿を想像した。悪くない、いや制服はかっこいい。何より世界中に仕事で行けるなんて。最高すぎる。

自分に適正はあるのか?小学校から一度も欠席したことが無いくらい健康だし、バイクをはじめ乗り物をコントロールするのは大好きだ。

その日以来、僕にとってパイロットになって飛ぶことは他人の人生の一部ではなく僕の人生の目的になった。

今振り返ると、富士スバルラインの比にならないくらいワインディングした道に人生の舵を切ったことになるのだった。

僕にとっても、東さんにとっても。

◆◆

前日の頭痛が嘘のように消え、足取りも軽く頂上まで辿り着いた。

ご来光まで暇だったので、東さんがつららを拾ってきた。

「富士山の標高は3776m、夏でも氷があるんだねー。」

細かいな、と思ったけど、きっと東さんが見ていた景色は僕の見ていた「3000m位の山」ではなく「3776mの山」だったからだろう。素人だった僕との目線の違いだ。

ただの大学生とパイロット訓練生、立場は全然違うけれど、それでもご来光に誓ったことは同じだったはず。

「絶対パイロットになる」と。

ここから、自社養成の受験までの約1年の長い道のりが始まった。

僕は東さんの努力の凄さを思い知ることとなる。

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