見出し画像

「不適切にもほどがある」1~2話 「時代はずいぶん変わったけれど、人間は案外変わらない」のだろうが‥‥

まーね、「昭和か、令和か」みたいな二項対立じゃないよね。
正直まだ乗り切れてないんだけど、2話まで見て思ったのは「38年で時代はずいぶん変わったけれど、人間は案外変わらない」というのがこの作品の根っこにあるんだろうなと。

大切な写真や記録をスマホで見せる現代人に、「全部その中に入ってるんだね。失くしたら大変だ」と言う小川(阿部サダヲ)が、実は自分も、昔の写真やら手紙やら子どものへその緒やら、大切なものを巾着袋に入れて持ち歩いているように。
言葉遣いも素行もひどく粗雑な純子が、本当は父親を心配して大切に思っているように。
“草食”や二次元萌えが浸透した令和育ちのキヨシが、地上波で見られるおっぱいや、先輩との殴り合いに魅せられるように。

人の言動が変わったように見えるのは社会という建付けが変わったから。
昭和の人間が古いわけでも、令和の人間がつまらないわけでもない。
人はいつの時代も人それぞれなんだ、と。
昭和の男性がみんな小川みたいによ~う喋るかというと、全然違うしね。
そして、普段は偏見やエロい思考丸出しでも、小川は妻と娘のビデオを見てひとり静かに泣くような愛情深い夫・父親なわけで‥‥
(↑このときの阿部サダヲの表情よ!)
(2話、バスの中で88歳の自分を想像してヨボヨボする芝居もほんとうまかった)

人間には“時代を超えた普遍”みたいなものが確実にあるんだから、今が息苦しければ違う価値観を取り入れてみてもいいんじゃない?
「まわりがこうだから」とか、「時代が変わってしまったから」と、あきらめたりヒネたりすることない。
空気を読んだり炎上を怖がったりして黙り込まずに、歌って踊るくらいのテンションで言いたいこと言っていこうぜ~!みたいな。

そういうドラマだとしたら主旨にはおおむね同意するけど、なんかこう、しっくりこないんだよな。1~2話を見た限り、取っ散らかってるように感じちゃって。

相変わらず小ネタの詰め込みすごいけど、ギミック先行になってる感。現代への問題意識はわかるが、だからって昭和を持ち出されてもね、と昭和生まれ40代の私ですら思っちゃうとこがある。

ドラマの文法が現代日本のポピュリズムに乗っかりすぎてる気がするというか‥‥。
今に始まったことじゃないけど、日本のテレビってやたら昭和や平成ネタやるでしょ。
昭和(平成初期)世代と令和世代が一緒に出演して、互いのジェネレーションギャップに驚いたり、「歌うま」番組とかも昔の歌を歌うんでしょ。
そんな番組を誰が好んで見ているのかイマイチわからんが、“レトロネタはクドカンの鉄板芸”ってのとは別に、そういう「懐かしむ」文化の裏書きがあって通った企画だよなと。

だからこういう設定や筆致になるんだろうし、この描き方を見ると
「窮屈な世の中だよね」
「昔は良かったよ、景気も良かったしさ」
「本能・本音をぶっちゃけて何が悪いの?」
「昔の日本人は情が濃く深かった」
みたいに単純極まりない受け取り方されそうで。

個人的に、'80年代ネタは「あまちゃん」やら「今日から俺は!」やらでもうお腹いっぱいだし、チョメチョメの連発とか不良の描写とか、別におもしろくないんだよねー。いつまでやるの?て感じで‥‥

近年の作品でクドカンのアップデートは実感してきたから、これからもっとおもしろくなることを期待。ミュージカルシーンももうちょっとこなれてもらえると‥‥

この記事が参加している募集

テレビドラマ感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?