中村修『なぜ経済学は自然を無限ととらえたか』日本経済評論社、1995


 中村は、経済学者以外の科学者の多くが、地球上における経済活動の限界を論じているにもかかわらず、経済学者があいかわらず経済成長を具体的な根拠もなく論じている状況に対する疑問から、本書を執筆した。そのため、本書の目的は、経済学者が論じる「成長」が非科学的な産物であることを証明することである。
 この問題意識は、ハーマン・E・デイリーの『成長なき繁栄』での序文でかかれた4つの疑問と共通するものである。「経済が成長したら、(a)正確には何が大きくなるのか?(b)現在はどのくらいの大きさなのか?(c)どこまで大きくなりえるのか?(d)どのくらいの大きさであるべきなのか? 」というこれらの疑問は、経済成長のための経済成長を求めるエコノミストに対して、当然なされるべき問題提起であろう。しかし、これらの問いにたいして、経済学者からの返答はほとんどない。
 経済活動において、エネルギーの消費は重要な問題である。ティム・ジャクソンは『成長なき繁栄』のなかで、資源やエネルギーの消費と経済成長を切り離す試みが成功するという根拠はないことを示した 。いうまでもなく、地球上の資源は有限であるから、経済成長と資源の消費が切り離せない以上は、経済成長を放棄せざるをえない。
 本書での問題意識は、経済成長という目標が、どのような認識を前提にしているのかということである。過去の経済成長は、化石燃料を消費し、商品を生産する持続不可能な産業社会に立脚したものである。これまでの経済的な評価によれば、石油や石炭からエネルギーを得ることは「生産」だが、実際には、地球上の資源の消費にすぎないということが見過ごされてきた。 中村は、「消費」と「生産」の逆転した見方の原因として、経済学が劣化しない無限の自然を仮説として採用していたこと、また、経済学の理論構造のなかにも劣化しない無限の自然という前提が存在していたことを指摘する。
 経済学は、古典経済学における無限の自然という前提を受け入れ、古典経済学が地球規模に経済が拡大するまでの間での限られた理論であることを無視してきた。
 また、このような自然に対する認識を、当時の物理学であるニュートン力学の世界と関連付けながら論じている。無限の自然という仮定に基づいた経済学と、ニュートン力学とは、次の点で共通している。質を捨象し、量のみで数学的に評価する、空間での運動は永遠に続く、物体の運動によって空間の質は永遠に変わらない。
 ニュートン力学は、その後、エントロピー法則によって否定される。同様に、ニュートン力学の世界観を共有していた経済学も、玉野井芳郎やニコラス・ジョージェスク=レーゲンらのエントロピー経済学によって批判されることとなった。
 両者は1970年代から80年代にかけて、エントロピー論を展開し、それまでの経済学の転換を主張したが、主流派の経済学を転換するまでにはいたらず、エントロピー経済学は現在に至るまで環境経済学の一分野としての地位にとどまっている。
中村は、その原因について、従来の経済学が劣化しない無限の自然という仮定から導かれた無限の成長を論じているのに対して、エントロピー経済学はエントロピー法則によって導かれる有限な自然を前提として展開しているために、両者の間で議論が成立せず、エントロピー経済学は経済学に対する根本的な批判、科学的制約として受け止められなかったと指摘している 。
 エントロピー論を展開したジョージェスクや玉野井は、「経済学は科学として、なぜ自然を論じることができないのか」という問題を整理せず、経済学批判の理論的積み重ねをしてこなかった。そのため、エントロピー論による経済学批判は、経済学が自然問題に直面すると矛盾が生じるという指摘にとどまり、その後のエントロピー論が十分に展開することはなかった。
 エントロピー経済学の視点に立てば、有限の自然という前提から人間の経済活動をとらえることができるため、従来のような自然破壊をともなう経済活動ではなく、物質循環を前提とした持続可能な経済社会の構築が可能になる。また、エコロジカル・フットプリントという指標によれば、すでに人類の生活は地球1個分を大きくこえてしまった 。理論的な問題だけでなく現実的な問題として、これ以上の量的な拡大が不可能であることを前提として、これからは経済の質が問われるべきであろう。実際、ブータンの国民総幸福が注目され、フランスでGDPにかわる幸福度指標の検討のための委員会が組織されるなど、その動きは活発になっている。
 経済の規模には環境という制約があり、経済の量ではなく質の問題であるという前提に立ってはじめて、セルジュ・ラトゥーシュの提唱する「脱成長」論や、ハーマン・デイリーの「定常経済」の議論がより深まる。彼らのようなマクロの視点も重要ではあるが、その一方で、地球規模では、持続可能な経済が成立していても、より細かい視点で見ると、環境破壊が起こっているということがありうるという点に注意しなければならない。
 ここで、地域単位での環境と経済の両立が重要になってくる。これまでの国家単位の経済だけでなく、地域ごとの経済活動の組織も行われるべきであろう。ここでの地域は、ヨーロッパやアジアといった国家を超える規模での地域ではなく、国家よりも小さいが、経済社会を組織するのに十分な大きさであることが望ましい。そうした地域経済を支えるためには、地域単位での貨幣の発行や流通がより盛んになることで、地域の活性化や環境の維持にもつながると考えられる。
 物質の循環を基本にすえた貨幣制度の先進的な事例としては、「おむすび通貨」が興味深い例としてあげられる。これは、愛知県豊田市を中心に、地域経済を支える中小零細企業や農家を支援する目的で発行され、貨幣価値の担保として玄米本位制をとっている地域通貨である。

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