11月号

勝手に月評 新建築2019年11月号

最近の話ですが、青木淳氏による京セラ美術館に関して、そして渋谷パルコに関する話題を多く耳にします。

前者は日本に現存する美術館の中で2番目に古い京都市美術館(2019年に改名して京セラ美術館)に耐震補強を施し、地下空間にガラスリボンと呼ばれる回廊を介して展示室にアクセスする構成となっています。ここで考えられていたことは、歴史的価値を持ったものを、いかに継承し、いかに新しく価値を与えることだったのではないかと思います。

後者は、竹中工務店によって建築部は設計されましたが、内装デザインをさまざまな建築家によって手掛けられた、渋谷の文化の中心を、更に更新しようとするプロジェクトになっています。ここでは原点進化というキーワードなどで語られるように、現代における文化の中心を発信していくプラットフォームになるような建物と内部のテナント展開を目指そうと考えられたと思います。

どちらも考えていることはこれまでの歴史とどう向き合い継承するのか、また、現代社会に向けてどう適応させていくのかだと、私はそのように感じました。

今月号の建築論壇で語られていたこと、そして今月号に取り上げられている一部の作品たちと上記の二作品には共通点がある、もしくは、デザイン的な解答には違いがあれど問題意識を共にしていると思いました。

さて、まずは建築論壇であるメタデザインの思考では、建築だけに留まらず不動産など他業種に積極的に関わっている連勇太郎氏、ファッションデザイナーである川崎和也氏、プロダクトデザイナーである島影圭佑氏による三方の論壇となっています。

三氏とも、建築よりも短く移り変わる産業に身を置いているところより、建築が社会に応じてどう変化しているのか、またするべきなのかを議論しているものになります。

連氏によると、社会が高度に複雑化し、不確実性が高まる現代において、建物を建設する上で発生する「変えられなさ」は不自由となっていて、近年の新建築の掲載作品では、その建築の変えられなさ、不自由さを乗り越えようとする試みが増えてきたと述べています。

さらにそれらの作品を分類すると、「プラットフォーム型」「改善改良型」に分けることができると述べています。前者では公共建築における、市民や利用者のアクティビティを許容するような空間に力を入れているものであり、後者では小さい規模の中で建築家が運営に介入し、建築家自身が改善改良に関わっていくものとなっています。

ここで現代社会の潮流を見てみるとウェブのように高速で変化する環境に注目してみると、従来の計画→実行ではなく、必要最小限の更新を複線的に繰り返すモデルが増えてきました。また、コンテンツを作るのではなく、コンテンツを生むためのプラットフォームをサービスとして提供する事例が増えてきました。そのモデルがそのまま建築に適用することは難しいですが、一部取り入れたりなど、学ぶところは大いにあると述べています。

これを受けて川崎氏が取り上げたのが、「デザインする環境をデザインする」ための設計方法論である「メタデザイン」です。現代の、誰もが作り手になりうる情報社会においては、プロダクトだけを作るのではなく、デザインをするためのプラットフォームの設計が、ファッション業界でもやはり大切になっていると述べています。

島影氏は、「OTON GLASS」の開発を通し、多様な人間像を対象とした設計論を共に構築してくれるパートナーである「エクストリームユーザー」の存在を指摘し、マスのためのものづくりではなく、ひと個人のためのものづくりと、エクストリームユーザーの介入による多様性の可能性を示していました。

階層性の設定やユーザーの振る舞いは計画することができないため、建築家が時間をかけて運営に関わるようにチューニングをしていく必要があります。連氏は建築家がプロジェクトと持続的に付き合うことで生まれる創作のことを「Duration(デュレーション)」であり、実務的な区切りとは別に、プロジェクトと関わり続けることがこれまでの建築の静的な「計画」を乗り越えられると述べています。

デュレーションを前提としたデザインのあり方として、「プロトタイプ」について考えてみることが大事だと川崎氏は述べています。

ここで言われているプロトタイプとは、ストックや知識の蓄積としてのプラットフォームをあるタイミングで切断し、プロジェクトとする考え方のことです。今月号でも掲載されている倉敷アイビースクエアのような、産業遺構をホテルに再生し、別のタイミングでホールを増築し、更に客室棟を改修していくなど、継続的な時間の中で切り出されていく建築が、建築におけるプロトタイプではないのか、と述べられています。

ここで話されていることは、これからの建築がソフトウェアのアップデートや修正パッチのように更新されていくことを前提に考える必要があるということで、そのためには設計者が建てられた建物に対し、持続的に付き合い続ける必要があるということです。現段階では小規模の建築において多く実践されていますが、今後はデュレーションを構築する職能、役割を持った人が重要になってくると考えられます。

また、歴史的建造物の改修及び建て替えのようなプロジェクトでは、既存の建物に対してアップデートを行い、現代に対応させながら根本にあるDNAは残すという方法論が大切になってくると感じました。

その中でThe Okura Tokyoでは、旧ホテルオークラ東京の旧メインロビー全体を新築で再現し、そのほかを地域全体で再開発を行うというものです。旧メインロビーの再現に関しては、解体前に3Dスキャンや写真の比較などによる空間の検証が行われており、建築・光・音環境が総合的に「空間の心地よさ」を構成しているという分析結果が得られ、それらを計画に反映されています。 


開発面としては、2つのタワーと地域を結ぶものとしての緑地、広場の整備に重点がおかれ、周辺駅からの歩行者と車両アクセスが考えられています。

歴史的遺構である旧ホテルオークラに対して、腰巻きビルのような東京丸の内の再開発と異なる手法で更新していることが特徴であり、ひとつの答えとも言えると感じました。かたちとしての保存ではなく、空間としての保存を選んだのは、旧ホテルオークラの空間の心地よさや質が

那須塩原まちなか交流センター くるる祝祭の広場では、論壇で連氏が取り上げたように市民や利用者のアクティビティを許容するような、インフラでありプラットフォームのような建物になっています。

前者では、地方都市において、フェスティバルが人々を爆発的に集めていることの発見から、文化的な交配の場であり、徹底的に水平な建築を目指したものとなっています。ただ作って運営を投げる、というものではなく、少ない人数でも運営管理できる空間構成や、即時にイベント空間へ移行できる即時性を計画に取り入れたりなど、市民にどう使われるか、という二次理解を空間に移すことのできている作品だと感じました。

後者は祝祭の広場という名前の通り、都市の中にある非日常性を、日本の寺社の境内と同室の場と捉えた現代的なハレの場を設計しています。地域の産業を支えてきた自走式門型ガントリークレーンを設置し、移動させることで市民に親しみやすいもの(寺社のように日常的に触れてきたもの)としています。

またインフラのような建築を考える際に、いかに建物全体の重苦しさを見せないか、という点がデザイン上重要となってきます。那須塩原まちなか交流センター くるるでは向きや大きさを変えた柱により空間に方向性と濃淡を付けており、祝祭の広場では大屋根が移動することによってインフラ的でありながら軽やかさを感じられるようデザインされています。

富岡倉庫3号倉庫では木造倉庫に対し、両端に鉄骨柱梁、基礎コンクリート、そしてCFRP(炭素繊維強化プラスチック)を木造トラスに対しあやとりのように線で結ぶ構造補強を行ったものになります。

CFRPそのものの軽さ(鉄の1/20)、そしてCFRP同士をつなぐジョイントにチタンが軽量(鉄の2/3)で高強度(鉄の2倍)を用いることで、鉄による補強では考えることのできない、軽くてしなやかな改修に成功しています。これは、新素材の活用によって建築がまさにアップデートされている好例となっていると感じました。

冒頭に挙げた京セラ美術館渋谷パルコでの話に戻れば、前者では歴史的建造物のアップデートであり、後者ではそもそもアップデートされた渋谷に対して建築がどう応答するか、という問題意識だったように感じました。少なくとも、長いスパン(アップデートされることを前提とした)で建築設計を考えることの意義を強く感じされられました。


久木元大貴

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