見出し画像

新社会人の君へ2024

人生の大半を占める学生時代に終わりを告げ、社会に向けて一歩踏み出した君に、まずは御祝いを申し上げる。
暖冬といわれたこの冬は、立春のころから足踏みして、新社会人の君を迎えるかのように、ソメイヨシノが開花した。
近年にしては、遅咲きのほう、らしい。

君が新社会人として新しい一歩を踏み出す今年、日本は揺れた。
そして、揺れ続けているようである。
確実にかつて日本人の常識とされていたものが失われ、何が正当であるかの判別が難しくなってきた。
もっとも、今年に限ったことでもないし、そもそも、そういうものとのとらえ方もできるが。

だからこそ、君は社会人として考えてみてくれ、社会は、人はどうあるべきなのか、を。

今日、初めて社員として向かうその場所は、君にとって理想の場所なのか?
まず、それを疑ってほしい。
そして、おそらく答はNoであろう。

いや、Noであってほしい。

が、さすがに初日にそれを表に出すのは憚れるであろう。
憚りなく、ここは違う、と言えるなら回れ右して異なる世界を探して出発するべきだ。
迷いながら、そこへ来た、そこへ向かうのであれば、大いに結構。
迷わない社会人などいないからだ。
迷うから、疑うから、人は調べるし、考えるし、ときにはじっさいに見に行き空気に触れるのだ。
今の今まで君がすれ違ってきた社会人は、たいていそうして日々を送っている。

いま居る場所、いま向かっている場所が、果たして安寧なところなのか、常に疑ってかかれ。
それが自分の身を守り、助けることになるであろう。
自分の身を守れない者は、他人を守ることは決してできないし、社会に貢献するなどありえない。

自分の身を守れる人物は、自分の身の回りが揺れても、動じないものだ。
そういう人物を目指すことを望む。

まずは、疑え。
社会人となったからには、周りの人間が味方だとは限らない、そう思え。
むしろ、敵に囲まれていると身構えたほうがよかろう。
以前のように、味方に囲まれて日々愉快に過ごせたのとは違う。
だからといって縮こまって過ごすのでは進歩がない。
問題は見極めだ。
こいつは味方だと信じるなら、そいつのために身を砕け。
そこが居心地が良い場所だと思うなら、毎日通うがいい。
その基準は自分で見つけるしかない。

そうだ、すべて自分が基準だ。
それが社会人というものだ。
そういう人物であってほしいと願う。

もう一度いう、疑え。

そして、信じろ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?