紺の背広

その春、ぼくは兄たちとは違い、六大学に入れなかった。
兄の行っている学校には行きたくない、とも思っていたが、学力においては、ぼくが兄たちよりも劣っていることが明確になった。
自分の学力をよく知っているぼくとしては納得の結果だったけれど、両親は失望したようだった。
たしかに、兄たちと同じく、あるいは、それ以上に予備校やら参考書やらの費用を出したのに、結果がともなわなかったのは、ぼくの努力不足としかいえない。

ただ、失望している両親に、入学祝いをくれ、のようなさらなる出費をぼくは求めなかった。
言えなかった、のではなく、言わなかった。

兄たちは大学入試が終わると、入学式用の晴れ着を揃えたが、ぼくにはその考えが全くなかった。
そもそも、入学式に行くかどうかも決めていなかった。
ぼくにとっても、その入試結果は受け容れづらいものがあった、両親以上に。

入学式になに着ていくの?
と、母が言ったときも、なにも考えてなかった。
別に、と言ったか、決めてないと言ったのか、古い話なので判らない。
その前後にどんな会話があったのか、どんな流れだったのかも、もちろん判らないけれど、父親の背広を直して着ていくことだけは決まった。

自営業の父は背広を着ることがなかった。
礼服を着て出かけることはあっても、背広上下を着ている姿を見たことがなかった。
もともと服装には無頓着で、涼しいか暖かいか、で洋服を選んでいた。
不思議と年中同じ服を着ていた印象はない。
ただ、背広姿は憶えがない。
が、持っていると言う、紺の背広上下を。

父の背丈はぼくはほとんど同じだった。
が、体重はぼくよりも、うんと重く、並んで立つとぼくのほうが小さく見えるほどだった。
だから、父の背広に袖を通すと、明らかに借り物で背広に着られているとしか思えなかった。

知り合いに洋服の直し屋がいるという。
じっさいに仕事を依頼したことはないけれど、腕がいいと昔から評判を聞いているので、ぼくの体格に合うよう直してもらおう、と母が言い、新橋の少し引っ込んだところへ持ち込んだ。
暦の上では春、のような時季だ。

出来上がったときは、3月に入っていた。
受け取った背広に、ぼくは満足できなかった。

できそこない、の言葉が浮かんだ、自分と重ねて。

袖の長さこそ合っているが、肩は余り、ボタンをとめても腹の周りは、もう一人入れそうなくらいの隙間がある。
尻のまわりは手をつけなかったのか、裾がやたらと太く、明らかに緩い。
ぼくの背広姿は誰がどこから見ても借り物であった。

じっさいのところ、ぼくが入学を決めた大学は、頭のよい学校とは一般に認知されていない、決して誰でも入れるレベルではないが。
もちろん、ぼくを兄と比較して、できそこない、と言う人がいた訳ではない。

が、当のぼくが、期待していた結果を得られなかったことに、強い失望を持っていた。

入学式は4月の何日か憶えていない。
一人で行って、誰かと喋ることはなく、一人で帰ってきた。
入学することに、希望はあまり持てなかった。
写真は一枚もない。
覚えているのは、兄の革靴が合わなくて、白い靴下のかかとを血まみれにしたことだけだ。

とはいえ、入学式は行って良かったと思った。
その日に集まった、親御さんや家族らしき人たちと同行し晴れ着姿の新入生と、自分は違っていると感じられたから、ではなかろうか。
ぼくは、あなた方とは違うのです、いけませんか?
そういう考えを持ちはじめたことは、悪いことではないと思う。

ぼくの身体に合わせたはずの、その背広は、入学式のあとは無造作に洋服ダンスにしまいこみ、着る機会はなかった。
無駄な出費をさせてしまったな、と今では思う。

その年の秋に、父は急に倒れた。

入学式のとき、父のおさがりを着た姿を、ぼくは父に見せただろうか。
病院のベッドに寝ているころ、急に思いたって着てみた。
けっきょく父は、倒れた後、意識が戻ることはなく2週間後に亡くなった。

紺の背広に、またひとつ、悪いイメージが乗った。

さらに3年後、就職活動するにあたり、ぼくは背広にグレーを選んだ。
大学を卒業後、仕事着の背広は、すべてグレーにした。
しかも、サイズはすべてオーダーにした。

七回忌のとき、ぼくは20代の半ばでしかないが、紺のダブルをオーダーした。
父の七回忌に、礼服では行きたくなかった。
七回忌とは、遺った家族がその後どう暮らしているかを親類縁者に伝えるイベント、と解釈していたぼくは、辛気くさくさせたくなかった。

けれども、紺のダブルボタンスーツを普段遣いするには、ぼくは若すぎるのではないか、と思っていた。

そこで、父の命日にだけ着ていくことにした。
そう決めてから、20年余りが経つ。

あれ、今日は珍しく紺なんですね?
と、ぼくに言った同僚は、いない。

今は服装について口出しするのもハラスメントになりかねない。
やはり、ぼくにとって、紺のスーツは忌まわしいものなのか?
そうでありたくないので、春の衣替えの時にも着ることに決めた。

それは、姪の誕生日だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?