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ようやく冷やし中華をつくる

ちょうど40年前、ぼくは中華料理店の厨房にいた。
「夏休みヒマだろ。オレの代わりにバイト入ってくれね?」
と言ったのは中学時代の同級生だった。
「代わりに、って、そんな簡単なものなのか、厨房って?」
「洗い場だから大丈夫だよ」

こういう話は、たいてい3割引になっているが、高校二年生のぼくは、まだ、その真実を知らなかった。
が、たしかにヒマだった。
とくべつバイトで稼ぎたいとは思っていなかった。
なんとなく、代わりに、というのが気に入って軽く引き受けた。
どこか、恩着せがましい。

行ってみて、ダマされた、とは思わなかったが、話が違う、くらいには感じた。
メインの作業は、麺を茹でるのと餃子を焼くことで、洗いものは二の次だと、厨房のチーフに告げられた。
オレが作ったものを客に出すのか、と内心抵抗があった。
だいたい、中華料理をあまり知らないし。
オレが知っている中華料理といえば、ラーメンと餃子、チャーハン、春巻くらいでしかない。
思い起こせば、連れられて入った中華屋で母親が「中華丼」なるものを注文していたが、あれは、ご飯に八宝菜をのせた食べ物なんだな。
「エビチリ」というやつも、厨房に入って初めて知ったし、「チンジャオロース」「ホイコーロー」など、なじみのない料理で、覚えるまでに数日かかった。

ぼくの母親は、あまり料理をしないひとで、特に油を使った料理が苦手らしい。
じつは若い頃に、揚げ物の鍋に火がはいって火事になりかけたことがあるらしく、その後、油を使うことを極力避けるようになったと言う。
そんな台所で育ったぼくには、中華料理の、油通しの技法や激しく炎があげながら鍋を揺する様子は、驚きに満ちていた。
いちばん印象深いのは、ラーメンどんぶりはラーメンしか入れないから、そんなに力を入れて洗わなくていい、と言われたことだった。
なるほど、そういうものか。

まかない食は、麺類なら何を食べてもよい、とチーフから言われていた。
要するに、自分で作って食え、ということだ。
たまには、あれを食わせてくれ、とお願いすることもあったが、ほぼ毎食、冷やし中華を自分で作って食べた。
麺を茹でれば、他の具材はあらかじめ切ってくれたものが用意されているので手軽なのが第一の理由。
第二に、冷やし中華が好きだから、である。

具材は、キュウリと細切りのチャーシュー、薄焼き玉子。
レタスもあったかな?
とくべつ珍しいものではなかった。
ただ、最後にかける汁はナゾだった。
どうやって作っているのだろうかと、その材料に興味を持った。
バイト、しかも代打のくせに。
もちろん、その味を盗む、的な考えではなかったけれど、自分でも作れるようになりたいと考えていた。
麺が汁に浸かるくらいたっぷりかけて、家でも食べられないものか、と。

その汁は、2リットルくらいのプラスチックボトルに入って冷蔵庫にあった。
醤油と酢、それに砂糖が入っているのは判る、毎日食べていなくても。
他には?
と、興味を持って作っているところを盗み見た。
なるほど、カラシか、とはならなかった。
母親よりも料理をしないぼくにとって、辛いものに砂糖を混ぜることがピンとこなかった。
その比率まではもちろん判らない。
プロはたいてい目分量で材料を入れて、味見して調整する。
熱いうちに味見して、わかるものなのだろうか?と疑問にも思ったが、できあがるんだから間違いない。
よしわかった、いつか作ってみよう。

その夏休みから40年経った。
なぜ今のいままで作ろうとしなかったのか?それに、なぜ今になって作ろうとおもったのか?特別な理由はない。
ただ、夏で、カラシがちょうど良さそうな量があった。

ネットで検索すれば、冷やし中華の汁レシピはいくらでも見つかるであろう。
けれども、記憶を頼りにやってみた。

どういうわけか間違っていない、古い記憶なんだけどな。
代わりに、ここのところ新しい言葉を覚えられない。

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