私の昭和歌謡27 喝采 1972
流行歌ドラチックな物語思い出すのは“黒い縁取り”
私には「昭和のあの頃」が数種類ある。
1960年代のまさに子供だった頃。
1970年代の大人っぽいティーンエイジャー。
そして1980年代の青春時代。
昭和は長いから、一口に「昭和はね・・」なんて言うもんじゃない。
軍歌に混じってジャズっぽい歌謡曲を聴き、若大将シリーズとグループサウンズを堪能して、ちょうど、サイモンとガーファンクル(S&G)にハマっていた。
同じフレーズを繰り返す童謡風ポップスと違う、S&Gの歌詞に感動した。
「アイ アム ア ロック」は自閉な心を言葉で表現している。
僕は岩。岩は傷つかない。僕は島。島は泣かない。
弾き語りで表現する心地よさを覚えた。そして解散してしまった。その後、ポール・サイモンの曲に「母と子の絆」がある。
この頃、「喝采」は売り出された。初めて聞いた時、何に驚いたか?イントロだ。「母と子の絆」にそっくりなんだ。
これって、編曲者はゼッタイ「母と子の絆」を聞いてるって思った。
ティーンエイジャーの私は「喝采」に脱帽した。これは情景を淡々と歌って、心の苦しみを表現している。小説のように。
🎵いつものように幕が開き〜あれは三年前〜ひなびた町の昼下がり🎵
と、語り続ける。さらに、
🎵つたがからまる白い壁〜暗い待合室〜降りそそぐライトのその中🎵
メロディーがたまらない。ヨナ抜き演歌なのだ。ところだ、だ。
テンポを無視する歌い方ではなく、しかも前倒しに拍を持ってきて「届いた」「喪服の」「ひとりの」「それでも」という言葉を強調する。
ポップスじゃないか!
今ではそれこそアマチュアが勝手に曲を作っている。裾野が広がったJ-POPはたいしたものだ。
でも昭和は違った。新しいジャンルの登場は専門家に頼らなければならなかった。
この曲は明らかに演歌とポップスが融合して、日本音階のメロディーにバラードのリズム。そして何より新しいのが、「歌う小説」だったこと。
新しい曲が登場したと思った。名曲である。
ちあきなおみは、変わった風貌の歌手だった。
仲良く夫婦生活をし、旦那が亡くなった時「私も一緒に焼いて」と言ったそうだ。強烈だ。引退して、静かな生活を続けている。
75歳。いい人生だったのだと思う。
人生100年。彼女の歌う姿は、もしかしたら見られるかもしれない。いや、私は思い出の中の彼女で十分だ。
【参考資料】
1972年9月10日リリース 「喝采」編曲;高田弘
1972年1月17日リリース ポール・サイモン「母と子の絆」
1970年11月9日リリース 「ウィズアウト・ユー」
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